「午前中電話をした者です」
「ああ、いらっしゃい。どうなったんだっけ?」
「撮影中に巻き上がらなくなっちゃって…」
「ああ、そう」と言いながら、おもむろに引き出しから工具を1本取り出す。
ドライバーのような工具で、先が丸数字の「1」の形をしている。ハッセル専用の工具らしい。
マガジンを外し、遮光板を左手の人差し指と親指で押し広げ、右手でそっとボディ内に工具を差し入れる。レンズの真裏にある何かをクイクイっと軽く回している。
工具を抜き出し、ボコっとレンズを取り外す。次いで巻き上げノブを回しては、シャッターを切るを数回繰り返す。
ギリギリ、バコン。ギリギリ、バコン。いつものハッセルの音だ。どうやら故障の原因は解消したらしい。すこしほっとする。
「レンズの接点、Mになってるね。MじゃなくてXにしといた方がいいよ。Mだとギア2つ分くらい遠回りするからね。少しずつずれが出るんだよ」
ほほー、勉強になります。
これで終わりかと思ったら、またレンズを手に取り、リアにエクステンションチューブのような器具を取り付け、がちゃがちゃやっている。次に、円盤のような器具にレンズを取り付け、キリキリやっている。年季の入った器具たち。はっきり言って何をやっているのか見当もつかない。
店主曰く、シャッタースピードと絞りの精度を見てるとのこと。こちらも問題なく作動しているようだ。
「うん、良いんじゃない」と一言。
ここまで、ものの10分足らず。あっという間だった。
実は来店したとき、すでに先客がいた。出羽桜の中瓶を1本飲み干していて、すっかり出来上がっていた。彼女はスタジオ勤務のカメラマンで、年に数回は顔を出しているらしい。いずれ写真で一旗揚げるんだと、店主が代弁していた。
結局、修理代どころか、麦酒2本もご馳走になってしまう。店主と先客と私で、小一時間ほど談笑させて頂いた。実に有意義だった。
店主は日本に一人しかいないハッセルブラッド公認の職人だ。50年以上のキャリアは伊達ではない。他にもハッセルを修理する職人さんは何人もいるであろうが、あくまで技術指導を受けたというのがほとんどだ。工具類は自前で作ったものも多く、いかに腕利きの職人と呼ばれようとも、いわゆるモグリになってしまう。
肩書きで何ができようか?とも思う。
しかしながら、あのシリアルナンバー入りの専用工具は実に誇らしげだった。
公認の職人として齢を重ねた風格は、やはり伊達ではないのだ。