荒木経惟「センチメンタルな旅」限定復刻版

写真集についてはInstagramに記録のみ投稿するうちに、なんとなくここで感想を書かなくなってしまった。でも、これについては少し書き残しておこうと思う。

荒木経惟・私家版「センチメンタルな旅」の実物は一度だけ見たことがある。3年半ほど前、荻窪の六次元で「写真集を贈る日」という連続トークイベントがあった。その第6回に参加した時のことだ。ゲストは写真家の古賀絵里子さん。インタビュアーは木村俊介さんだった。ゲストがお気に入りの写真集を3冊持ってきて、対談中に紹介するという趣向で、そのうちの一冊が「センチメンタルな旅」だった。ちなみにほかの2冊は、小島一郎と立田英山のだった。

古賀さんが学生の頃に、この「センチメンタルな旅」に出会い思わず泣いてしまったという。この写真集がきっかけとなって、古賀さんを写真家の道へと向かわせた。ある老夫婦の有り様を追い続ける「浅草善哉」に至ったのも、自然の流れだったように思える。

持参の「センチメンタル…」はダストカバーがなく、装丁もかなり傷んでいた。買った時からすでに状態はあまり良くかなったらしい。その上、これまで何度も何度も、数え切れないほど見返して、さらにぼろぼろになってしまったのだとか。

参加者に回覧してくださり、自分の番になると、気が急きながらも、できるだけ記憶に留めておこうとした。速読よろしく瞬間視で右脳に焼き付けていく。だからといって、見た後に特別な感情が湧き起こったわけではなかった。その時は伝説の写真集、世界的な稀少本というバイアスで満たされていて、それ以上の感想もなく「見た」ことがすべてだった。古賀さんのように運命的な出会いとはいかなかった。

3年以上過ぎて、もう「センチメンタル…」を見たという実感が残っていない。現物はもう手に取れないかもしれないと、時折、写々舎のiPadアプリのスキャンデータを閲覧した。とりあえずすべてのイメージを見ることはできる。少しずつ夫婦の関係性を想像するようになり、この写真集の魅力をもっと感じたいと思うようになった。でもやはり実際に本を手にとってみないと伝わってこない気がした。画像を確認するだけでは物足りなくなってくる。いつかは手元に置いておきたい。いつからかそう思うようになった。状態にもよるが、超高価な上に、ネットですら在庫を見つけるのも稀な本だ。おいそれとは買えない。

そこへ持ってきての限定復刻版の発売。テンションが上がるではないか。ただ初めての復刻というわけではない。余談かもしれないが、2001年にSteidlから出版された「The Japanese Box」の中に「センチメンタルな旅」も含まれたいた。他には中平卓馬「来るべき言葉のために」と森山大道「写真よさようなら」、それに「Provoke1〜3」が含まれるという木箱入りの豪華版。これも相当レアなボックスセットだ。

そういう意味では、今回は純粋な国内での復刻版と言える。さっそくAmazonで予約を入れた。予定通りに配達されるとすぐに開梱した。慎重にシュリンクを剥いで、腰帯を破らないようにダンボールのスリーブを外す。そっとページをめくる。

思っていた以上にグレーだ。それも中間よりもハイライトよりのグレー。そのうち印刷がフェードアウトしてしまうんじゃないかと思うほどの淡さだ。でもこれが私家版の印刷の再現なのか。古賀さんの時もiPadの時も感じなかった印象だ。でもその淡さが妙に腑に落ちた。

はたして「センチメンタルな旅」は荒木経惟とってどんな写真集なのだろう。無愛想で、厳めしい表情で写る陽子さんはどんな方だったんだろう。

見れば見るほど比類のない私写真の魅力に惹きつけられてしまう。やはり写真集は手にとってこそなんだと思った。

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