加納満写真展「イタリア 無我の彷徨」@ギャラリー冬青

今回の展示は写真のある部分から離れようとしているように感じた。散々意識して磨いたものをいったん捨てるのは難しい。それが偶然だったのか、意図したことなのか、その中間だったのか、どちらでもないのか、それはわからないけど、今までとまた別の見方ができる展示だった。

加納さんは自分の写真を必要以上に言葉にしない。言葉を持たないんではなくて、あまり語らないのだ。それでも会話をしていると、端々でこだわりというか、信条ともいえる考え方が伝わってくる。まあ、ちゃんと訊いたら普通に答えてくれるかもしれないけど、野暮ったくてちゃんと訊いたことがない。

今回も気になるプリントが一点あった。本気で買おうかと思った。でも見合わることにした。昨年6月の個展で買ったプリントが熟成期を迎えている。といっても別に紙質や画質が経年変化したわけじゃない。むしろ保存が大事な写真は経年変化が遅いほうが好ましい。ここでいう熟成は物理的変化ではなくて、写真が自分に馴染んできたという意味で言っている。感覚的な話だけど、同一作家の新たな作品を加えるタイミングではなかったということ。

その写真は、俯瞰視点で裏路地の階段坂をとぼとぼとひとりの男が歩いているイメージ。ディープシャドウもハイエストライトも無い、ややコントラストが低めのプリント。時間が経てば経つほど新たな発見がある。個人的には加納作品の会心の一枚。文脈とかコンセプトとかに頼らずとも十分に強度を感じる作品だ。

プリントはこの熟成期を繰り返していくと見え方が少しずつ変化して、向き合う過程に深みが増す。だから、写真は初見ではすべてを計れない。買ったプリントはとことん向き合うのみだ。