結論を急がない

写真を観るうえで大切だなと感じているのは、あまり結論を急がないことだと思うようになった。というか結論を求めても仕方がないのが写真なんだと思う。

既知でも未知でも興味を持った写真家の作品はできるだけポジティブに観賞するようにしている。はなから好き嫌い、良し悪しを決め付けないで、ひとまず興味を持って見ることで、作品の可能性を広げらるかもしれと思えるようになったからだ。

もちろんその場で理解できないものもあるし、ある程度は理解できるけど共感までいかないこともある。わかったつもりになって、したり顔でつまらないことを口にすることもある。時間が経つと腑に落ちることもある。ひとまず第一印象は大事にしつつも、作品に対しても、自分に対してもレッテルを貼らないようにする。もし否定的な感想を持ったとしても、それは今だけのことかもしれないと思えばまた次のなにかが待っているかもしれない。

自ら断定や限定をしてしまうと、今の自分にとって安易な結論で満足したり、それ以上は興味がうせたりしてしまう。自分は生活の中で人にも自分にも断定や限定をしがちなので、せめて写真を見るときくらいは、そうならないようにしたいと思う。ある意味、写真を見ることが自身の修練みたいなところもあるかもしれない。

作り手も自作のすべてを把握しているわけではないだろうし、シリーズの過程で発表することがほとんどだろう。それこそ最終的な結論となれば、死後の回顧展みたいになってしまう。それすら時代ともに忘れられることもあれば、時代とともに再評価されることもある。

観る側だってすべてを咀嚼することはできない。欲張ってすべてを理解しようとしてもあまり良いことはないし、できるはずもない。だって、作品を観るというのは、ひとつの節目、経過を観ているにすぎないから。それでも、その経過の積層が厚くなればなるほど、作家性が増してくる。そう思えば、できる限り結論を急がず、常に経過を観つづける気持ちで作品に向き合いたいくなる。

やや漠然とした話なんだけど、表現者も観賞者もその貴重な節目を繋げていくことが大切なんじゃないかと思う。

広告