写真の公募展に関しては食わず嫌いなところがあって、写真新世紀も1_WALL(旧・ひとつぼ展)も毎回見に行くというほどのモチベーションはなかった。特に1_WALLは入り込みにくい印象があった。
ところが3、4年前に出会った田中大輔さんが初応募し、最終審査まで残ったと聞いて、初めて公開最終審査を観覧することにした。
やはり食わず嫌いはもったいないなと改めて実感した。観覧できてよかった。フィイナリスト6名の期待感は確かなもので、それそれの持ち味や魅力があり、初見でも甲乙つけがたかった。
その中でも、木原結花さんの「行旅死亡人」はきわめて完成度が高く、登竜門にエントリーするレベルをとうにクリアしている作品だった。入念なリサーチを重ねて、事実とフェイクを写真やテキストに落とし込む製作方法はタリン・サイモンを彷彿とさせ、このままコマーシャル・ギャラリーに出してもおかしくないと感じた。個人的には写真と記事を二枚抜きのマットで並べてひとつの額に収めても面白いのではと感じた。
それと、アンポンタン・裸漢さんはポートフォリオが抜群によかった。今までは撮りためた写真を分類して発表していたらしいが、何かひとつ抜けきれないものがあったらしく、分類することをやめてみたそうだ。それが功を奏して、「等価化」「均質化」という新たな表現を手に入れた。写真を撮る技術がある上に、もともと何でも同じ感覚で均質に撮っているから、分類という色気がなくなり、より強度を増した写真群になっている。
ラッセルさんは展示よりも写真集で見てみたい作品だ。個人のアイデンティティを元に製作されてはいるけれど、そこを超えて別のストーリーに再構築すると今までにないものが出来上がりそうだ。
富澤さんと遠藤さんの二人はとにかく写真がうまい。富澤さんはライフワークとして自分のルーツを撮りためていきながら、決め切らない写真、意図的にハズす写真を撮れる。遠藤さんはその逆で決め切る写真、決定的瞬間をあえて狙って突き詰めようとしている。このコントラストも面白かった。
でもグランプリは一番完成されていない田中さんだった。撮影技術や展示の完成度は、他のフィイナリストのほうが長けていたかもしれない。でも田中さんのプレゼンを聞いてしまったら、その可能性に賭けてみたくなる気持ちもわかる。プレゼンに関しては他を圧倒する熱量だった。
以下、田中さんのプレゼンテーションです。
僕は普段、子どもの頃から抱えてきた孤独や怒りといった感情を大切にしながら、作品作りをしています。展示作品は、象のはな子の映像を中心に構成したもの。はな子に初めて対面した時に殺気みたいなものを感じると同時に、共感する自分がいたのがきっかけで写真を撮るようになりました。そのうちに、自然と動画を撮るように。なくなってもそこにあるもの、なくなったからこそそこにあるものが写真には存在しているはず。時間や瞬間を捉えるだけではなく、写真にはまだまだ新しい可能性があると思っています。
以前、洋服ブランドのショーを撮影したことがあって、その時のモデルさんを撮影した時のざわざわとするような感覚を今も覚えています。個展では、そんな風に、心が動かされるような対象物を撮影して展示したい。
引用:田中大輔「elephant sea」公開最終審査・プレゼンテーションより
一年後の展示がとても楽しみだ。
公開最終審査のレポートが掲載された。ご興味があれば詳しくはこちらに。
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