許容と受容


「批難」するのはわりと簡単なことだと思う。相手の欠点や落ち度を主観で指摘するだけでいい。無責任さが付きまとい、そこに気づきや広がりは生まれにくい。自分でもついやりがちだ。「批判」は白黒はっきりさせるニュアンス。良いなと思ったことも、これ駄目だなって思ったことも、はっきり言う感じ。毒舌、辛口でキャッチーな意見になる反面、褒めすぎ、こき下ろしすぎの極論にもつながる。「批評」は対象の良い点も悪い点も挙げた上で総合的に判断する。冷静かつ客観的に努めている姿勢がうかがえる。いずれにしても全く主観を入れないというのは無理な話だ。ようは主観の入れ方が問題で、「許容」や「受容」する心がなければ、「批難」も「批判」も「批評」も大差なくなってしまう。「許容」や「受容」は面白がる心につながってくる。まだまだだなと思うことも、これすごいなって思うことも、全部ひっくるめて楽しんでしまう姿勢で写真を観たいと考えている。周りにそういう人たちが多いことに感謝している。そうして観る強度がだんだんと高くなってくれたらと自分に期待している。