野村佐紀子写真展「Ango」@Poetic Scape

えらいの見ちゃったな。これは実際に観ないとわからないやつなのは確か。

陶然とするモノクロプリント、絶妙なサイズ感、配置や並び、台形の額やマットをはじめとする高度で的確な額装。野村佐紀子写真群のイメージがぐっと拡張された展示だった。

そして写真と言葉が拮抗する書物「Sakiko Nomura: Ango」。噂の製本技術「ツイストハードカバーブックバインディング」が使われている。これが変態的に美しい。天地は水平で小口だけが捻られて製本されている。開くとページが台形になっていて、最初は下辺の方が長く、めくるごとに上辺の方が長くなる。マジシャンがトランプを等間隔で扇型にするように、銀行員が札勘定をするように、美しく捻られいる。一枚一枚の角度が違うため、捻り工程を逆算して一ページごとに割付の角度を変えているそうだ。あーこれ、言葉で説明しても拉致があかない。実際に手にとってみないと理解できない。とにかく触ってめくって気持ち良さを感じて欲しい。

町口さんと野村さんのトークも充実していた。スタイルは対称的。造本に掛ける情熱が煮こぼれるように語る町口さん。口数は少ないが一言で聴き手を怯ませる強さがある野村さん。

町口さんが「これ作ってるとたぁ〜のし〜なぁって」とニヤニヤしながら話すのは聴いていてもうれしくなる。製本にまつわるマニアックな話も粋な落語に聞こえるから不思議だ。時間が許せばいつまでだって聴いていたい。

野村さんは穏やかで口数は少なく、あまり声も張らないが、一言の破壊力がすごい。野村さんは「撮ること」が空気を吸うかのごとく普通に行われている。テーマを決めて撮ることはなく、身の周りに起こる出来事をきっかけにこれまでの写真を選ぶことが多いそうだ。正確な言葉は覚えていないが、「頭でコンセプトを立てたらそれを(写真で)超えることはできないじゃないですか。それよりも先方の事情の方がね」と言っていた。「先方の事情」とは写真に撮られる側の事情ということだろう。野村佐紀子という写真家は被写体と対峙するというよりも、被写体に寄り添い同じ方向を向く意識があるようだ。良い意味で自我が希薄で、自分の感情や都合に左右されてモチベーションが上がり下がりしない。調子が良かろうが悪かろうが撮るものは撮る。自然体で在ろうともしていない。自然体で在ろうと意識した時点で自然体にはなれないのも自明の理。でもそれができないから悩む写真家も多い。

漫画の話で申し訳ないが、ドラゴンボールで人造人間セルとの決闘前に、悟空と悟飯が精神と時の部屋で修行をする話がある。他のメンバーはさらなるパワーアップを目指す中で、二人は違うベクトルで修行を積む。結果として、最高のパワーを発揮するスーパーサイヤ人の状態を無理なく普段から維持できるようになる。普通の状態をすでに最強の状態にすることで、その先の強さ、潜在能力を引き出す土台づくりに成功した。

野村佐紀子さんの状態を例えるなら、常に何の無理もなくスーパーサイヤ人で居られる状態なのではないか。とにかく撮り続けることでしかたどり着けないだろうが、撮り続けたところでたどり着けるとは限らない。これは天賦の才としか言いようがない。きっとこの境地を羨む写真家はゴマンといる。

戦後生まれだからこそできることがある。文学と写真の拮抗を試みる書物。その書物とプリントの展示空間が呼応しながら形を成し、言葉に表せないほどの一体感持って展開した奇跡的な個展となった。

そして何よりうれしかったのは、野村佐紀子という写真家に出会い、あの師にしてこの弟子という凄味をまざまざと見せつけてもらい、ひょっとしたら師も羨む才能を知り得たことだ。