森山大道『何かへの旅』の一枚

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2013年に初めて実物を見て、その場から離れられなくなったプリントがあった。森山大道『何かへの旅』の一枚だ。自動車の中から捕えられたフロントウィンドウ越しの世界。ピントはウインドウに貼りつく雨粒あたりに。下がったワイパー、その奥にはボンネットらしきもの、その左側にフェンダーミラーが見える。雨粒は上方に流れるように歪んでいて、ワイパーの弧状の筋が薄っすらと残っている。手前のダッシュボードにあるエアコンの吹出口も判別できる。奥の景色に目をやると、雨雲が重く垂れこめ、地平線には枯れ木のような電柱が点在している。(※参照1)

初出は『アサヒカメラ1971年7月号』(※参照2~4)で、タイトルは『連載・何かへの旅〈7〉/Searching Journeys(7)Kushiro ― 地平線』。その3枚目で、見開きで掲載されている。アサヒカメラの連載は、1968年(新作掲載は1969年)から1973年までのおよそ5年にも及んだ。プロヴォーク解散が1970年。1971年は森山大道にとって新たな旅の始まりとして位置づけられ、『何かへの旅』というシリーズが始まるにふさわしい年と言える。

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『何かへの旅 1971-1974(月曜社/2005)』(※参照5)にもそのまま収録されている。本書はアサヒカメラ連載作品をはじめ、74年までの雑誌連載シリーズを複写でまとめたものだ。『にっぽん劇場 1965-1970(月曜社/2005)』と合わせて見てみると、連載時の生々しい息遣いが伝わってくる。

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他の写真集では『MORIYAMA Daido 1970-1979(蒼穹舎/1989)』(※参照6)の表紙も使われてる。蒼穹舎の太田通貴氏による編集とセレクトだ。こちらの巻末の初出記載では『根釧原野、北海道、1971年5月/アサヒカメラ1971年7月号/「何かへの旅」より』と記載がある。

▲参照6

2011年に大阪国立国際美術館で開催された「森山大道写真展 On the Road」公式カタログの『オン・ザ・ロード(月曜社/2011)』も掲載されている。キャプションが「地平線 Wetlands 1971」となっている。このキーワードで検索すると、あの精神科医であり、現代アートコレクターの高橋龍太郎氏の森山大道コレクションに行き着く。アサヒカメラの構成でいうと、1枚目の地平線と4枚目の馬の写真だ。

『狩人(中央公論社/1972/初版)』と『狩人(講談社/2011/新装版)』では一枚目を飾っている。2003年の巡回展の公式カタログ『光の狩人(島根県立美術館、川崎市民ミュージアム/2003)』にも掲載されていて、『狩人』の初版以外の2冊は「写真集食堂めぐたま」で確認した。こういう時に必ずと言っていいほどあるので、国会図書館いらずなところがある。

最後に、オリジナルプリントを見て初めて分かったことがある。実はイメージの左下の隅に「SKYLINE」の文字があったのだ。この頃の年式だとスカイラインの中でも通称「ハコスカ」と呼ばれた車種のどれかだろうか。雑誌や写真集では潰れてしまっていて、文字があることすら気づけない。当時の印刷原稿ではどうだったのだろうか。意図的に焼き込んで潰したのか、印刷の工程で潰れてしまったのか。2013年に見たオリジナルプリントではどうだったのだろうか。焼き込まずに文字を出したのか。そんな考えもなく、ネガ通りに焼いたらこうなったのか。とても興味深い。でも少なくともネガには情報があるわけで、自分が見たゼラチンシルバープリントには文字が表れていた。それは事実なのだ。