コレクターの端くれとしての想い

ある作家が廃業宣言をされた。

正直ショックを受けた。「辞めます宣言」というのは、本人が思っている以上に、コレクターに衝撃を与える。それは喪失感とか失望感を伴う。写真家や美術家という呼称は職業である前にその作家の生き方を表すものだと思う。「~家」を辞めるというのは、生き方を変えるに等しい。だから始める時よりも辞める時のほうが重たい。同じ「家」でも愛煙家とか読書家とはわけが違うし、スポーツ選手の引退ともニュアンスが違う。私の身勝手な願望ではあるけれど、少なくとも写真家とか美術家というのは生涯にわたって続けると決意して使ってほしい呼び名だと思うからだ。

コレクターはその作家がずっと活動を続けてくれるものだと勝手に思ってるし、継続してほしいと願っている。でも筆を折る的なことが起こらないとは限らない。健康面や経済面など様々な理由でいつのまにかフェードアウトすることもある。結婚とか出産とか介護とか家庭環境の変化で続けたくても続けられなくなることだってある。家族や周囲の理解も必要だ。表現者にとってお金の工面も重大事だ。製作費のかかる表現方法ならなおのこと。辞める理由としてお金が続かないというのは多いだろう。やむを得ない、のっぴきならない事情というのは察して余りあるし、理解はできる。

そんなこと言うなら、辞める前にもっと作品や作品集を買ってくれたらよかったのに、と突っ込まれるかもしれない。だから一点でも購入している立場として、コレクターの末席にいる身として、しごく我が儘な想いを述べている。

これはせめてものお願いだ。廃業宣言という方法ではなく、そっと活動を休止するにとどめてほしい。作品の発表は5年スパンでも10年スパンでもいいから継続状態であってほしい。仮に二度と作品を作らなかったとしても、辞めていなければ生き方を貫いているという希望は持てるから。

個人的な意見として、写真家などをつづけるにあたって、それが本業でなくても一向にかまわないと思っている。流行りに乗ってとか、なんちゃってとか、にわかとか、ついでに名乗っている人は論外だが、生涯をかけてやりたいことと、生涯の生業が違うことは往々にしてあるし、否定されることではない。本当にやりたいことするために、日々の食い扶持を稼ぐために他の仕事を持っていてもいいではないか。プロだとかアマチュアだとかの線引きもナンセンス。必死こいてカメラマンの仕事をこなしたっていいではないか。ワークショップの先生をしたっていいではないか。忸怩たる思いで続けたっていいではないか。むしろ生涯にわたって引退など考えずに継続できるならば、どんな手段を使っても資金面の問題をクリアしてほしいと願っている。それが一番難しいのは重々承知の上での、一コレクターとしての願いだ。