亀山仁写真展「Myanmar 2005-2017」@ギャラリー冬青

前展「Thanaka II」は初個展の「Thanaka」よりも生理的な反応でシャッターを押している印象だった。フォトジェニックさよりも亀山さんがそこに佇んで見ているという感覚がそのまま残っている写真が多いように思えた。インレー湖を中心とした静謐な風景や寺院や集落など風土風習の臭いが色濃いロケーションはそれほど変わっていないが、旅行者からもう少し進んで滞在者の視点にシフトしていった展示だった。

今展では新たな人との出会いが大きく影響している。ミャンマーのコミュニティとの関わり合いがきっかけとなり、滞在しているという立ち位置にとどまらない視点が加わっていた。それが色濃く出ているのはヤンゴンの写真だろう。亀山さんは今までヤンゴンにそれほど魅力を感じなかったそうだ。インレー湖行きの中継地にすぎず、出来るだけ滞在したくない場所だった。それがどうだろう。半数ほどヤンゴンの写真が占める展示になっていた。この変化は大きいように思う。シンガーソングライターのAh Moonさんの写真は、一見他の写真とは雰囲気が違い異質さを感じさせるが、ミャンマーとの関係性の変化を象徴するカットになっている。それと、あの傘を差した少女の写真。まるであの少女が、亀山さんのこれまでの写真とこれからの写真との境界線に存在するかのような不思議な1枚で、目が離せなくなる写真だ。

アウンサンスーチー氏の下、軍事政権から民主化の動きが進む中で、ヤンゴンは象徴的な都市になっている。再開発はもとよりスマホの普及やネットインフラも整いつつあるらしい。ただ都市化、近代化が進むヤンゴンが存在する一方で、130を超える少数民族で構成されるミャンマーは一括りの価値観で束ねるのは困難とも聞く。軍事政権下での「秩序」で成り立っていた地域もあるだろうし、軍事だろうが民主だろうが関係なく暮らしていた国境沿いの辺境部族もいるだろう。今もなお過渡期と見られなくもないが、この混沌さそのものがミャンマーのありようなのかもしれない。

それほどミャンマーの歴史に詳しくなく、複雑な事情が絡んでいる情勢を迂闊に言及できる立場にはないにしても、亀山さんの写真やお話を通してミャンマーに興味を持ち少しずつ理解を深めている。とは言え、亀山さんはミャンマーの現状を伝えるために写真を撮っているわけではない。あくまでも私的な視点でミャンマーを捉えている。縁のある人たちとの関係を大切にしながら、亀山さんならではのミャンマー像が立ち現われてきている。市井の人々と近い視線のミャンマーの変化が感じ取れる貴重なシリーズだと思う。

いち観光客として訪れてから12年になるそうだ。きっかけはどうであれ、この年月を経て3回の個展と2冊の写真集に結びつけている。月並みだけれど、継続は力なりを地で行く写真家だ。おそらくこれからもコツコツとライフワークとして続けていかれることだろう。何事も続けてこそ、なのだとつくづく実感する。

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