最終日。初めて金川晋吾さんの写真を見ることができた。とにかく見に行けてよかった。写真にもテキストにも映像にも吸い寄せられた。父と、その父の姉である伯母の失踪。どう向き合い、どう受け入れ、どう取り組み、どう写真で表そうと、露にしようとしているのか。生まれてきた境遇、社会的な立場、親子や親類という関係など、生きていく中での役割が破綻した時に、人は何を思い、何を考え、どう行動するのか。息子である写真家も、被写体である父も、そして伯母も、何ら答えを持っていない。身内の稀有な状況を晒し、人と人の関係性を問い続ける金川さんの写真家としての姿勢は興味深い。
継続中の二つのシリーズは、道半ばで、未知なまま。理解するための導線も用意されているようで用意されていない。自分の中ではまだはっきりとした言葉が浮かんでこないけれど、しばらく写真集をめくりながら、写真とテキストを頭ん中で反芻させてみようと思う。
あと今回の展示構成が秀逸。前半の父のシリーズは、縦3列に互い違いに壁が設置され、ひとつの壁に大きな写真が1枚ずつ。ゆらゆらと木の葉を落とすように右に左に視線を誘導して、とても滑らかに観覧できる。壁と壁の間から他の写真が何気なく見切れるのもおもしろい。会場の中間地には、父の自撮り写真のスライドショーを挟みテンポを変える。それから後半の伯母のシリーズは、打って変わって広い部屋に小さな写真が広い間隔で並んでいて、時計回りに自然な導線になっている。大きめのスペースでこれほど滑らかで無理のない導線はあまり体験したことがない。この構成力、唸りました。
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