アンソフィー・ギュエ 展|INNER SELF @POETIC SCAPE

まずは写真を見てからと思って、とにかく一枚ずつゆっくり見てみた。近寄ったり、離れてみたりしながら出来るだけ丁寧に満遍なく見てみた。

(あれ?)

見る前はテーマからして、ジェンダーや性的マイノリティーについてもっと考えて欲しいと訴えかけるような、迫られるような、問いただすような、一定の緊張感がある写真なのではないかと勝手に想像していた。

ところが、あまりに自然なポートレートだったので、初め少し身構えてしまっていた自分が滑稽に思えた。持つなと言われても持ってしまうのが先入観てもので、やはり実物を見ないと、その場に来てみないとわからないことは多い。

被写体は皆、ふっと力が抜けた穏やかな表情をしている。喜怒哀楽こそ表に出してはいないが、決して無表情、無感情ではない。撮る側と撮られる側の関係が良い状態で保たれている理想的なポートレートだ。だからゆっくりとじっくりと見ることができたのかもしれない。

もちろんLGBT(さらにQやAもあると最近知った)についての問いも内包しているはずだけど、そういうカテゴライズ、細分化について強調はしていない。その人物がどのカテゴリに在るのか、ないのか、特にその説明もない。

むしろ、そういう物差しすらいったん外して、目の前の彼ないし彼女と向き合ってみることから始めてみませんか、とやさしく促されている気がした。

人の内面そのものは写真には写らない。でも、外見 (appearance) は少なからず内面が反映される。社会で生きていくための意思表示であったり、覚悟のようなものであったり、今の気分であったりが、服装やメイク、体つきに表出する。

人は知らないこと、理解できないことを否定しがちで、それに、自分が理解しやすいように簡素化して、極論や安易な答えめいたものに飛びついてしまう。それでは学びはないし、理解も深まらない。

思うに人は多面性というよりも、数えきれない要素が混ざり合うグラデーションで形成されていて、本人にも掴みきれない【INNER SELF】が存在するのではないだろうか。

アンソフィーさんの眼差しを追体験することで、人の内面について、社会や他人や言語が分類する以前のあり様を考えるきっかけになると思えた。

そういう奥行きのある、懐の深い視座があってこそ、ジェンダーや性的マイノリティーについて考えられるようになるのかもしれない。