深瀬昌久「家族」

トモ・コスガさんの話の中で、深瀬昌久は一貫して「遊戯」としての写真をやり続けた人だったのではないかと言っていた。確かに「遊び」を軸に見てみると、深瀬昌久像がくっきりしてくる。悲喜交交、一切合切を写真で遊び倒す。きわめて筋の良くて、ひどくタチの悪い遊び。

ディーゼルで「救いようのないエゴイスト」を見てからというもの、あまりに衝撃的すぎて、無性に見なきゃ見なきゃと強迫観念のような感情が湧き立っていた。でも、少し肩の力を抜いて、見ている自分も深瀬昌久の写真で遊べるようになったらもっともっと面白くなるだろうなって思えた日だった。