野村浩 展 Merandi @POETIC SCAPE

この日は季節外れの寒波で、雨がみぞれに変わるほどの寒さだった。手を擦りながらポエティックスケープの自動ドアを抜けると、野村浩さんの油彩がほっこりと迎えてくれた。壁面の小さな作品たちが気になりつつも、まずは暖を取るべく、いつものアラジンに駆け寄る。じんわりと伝わってくる暖気が冷えた体を緩めてくれた。

かねてから野村さんの油彩画を心待ちにしていた。東京藝術大学で油彩を専攻し、自他ともに認める実力がありながら、作品として油彩を選んでこなかった。ある意味、野村浩の本領を発揮する個展となるわけだから、期待しないわけがない。

2014年に、集中豪雨で被害にあった古書店「SO BOOKS」の応援イベントがあり、その時に集まった作品の中に、野村さんの油彩があった。初見ながら、画家としての実力は、推して知るべしで、いつかまとまった作品を見てみたいなと密かに願っていた。

四肢の体温を取り戻した頃合いに、壁の作品を見て回る。どれも小さな作品で、サイズは2号前後だろうか(後日、野村さんご本人にF0サイズと教えていただきました)。額装なしでキャンバスのまま飾られている。モランディに倣った、箱や瓶のようなオプジェを並べた静物画で、色使いもまさに巨匠のそれだった。

一点一点、矯めつ眇めつ見ていると、否応なしにオブジェのひとつに描かれた「アレ」と目が合ってしまう。無感情な何を考えているかわからない、あの両目。ともかくかわいい。キョトンとこちらを見ているようでもあり、気取られまいと息を潜めているようでもある。

「気取られまいと息を潜める」という印象から、「擬態」に行き着く。オブジェのキャラ化という側面もありながらも、モランディの絵の一部となるべく、油彩化した目が貼り付いているという感覚にもなる。野村さんもこの「擬態」について言及していて、改めてハッとさせられた。

「擬態」する目に、こちらとしても黙ってはいられない。やり過ごそうとしてもそうはいかないぞとばかりにガン見してみたり、あえて気づかないフリをして空かしてみたりと、目との無言の対話が始まる。

モランディを思わせる静物画に、目が一対描き足されるだけで、モランディの色調や筆致を想いつつも、意味性や認識のズレが生じて、パロディとかオマージュとは明らかに異なる観賞体験が得られる。

野村浩さんの作品を口伝えするのは至難の技で、基本的に一人で観賞こそすれども、独りで抱え込めるものでもない。できることならば、実際に見て体感した者同士で、核になる部分を共有したいのだ。

そういう意味で、今回の作品集『Merandi』に寄せられた美術批評家の土屋誠一さんのテキストは、野村さんの作品世界をものの見事に指摘している。もともと間口を広く奥が深い野村作品ではあるけれど、土屋さんの文章はさらなる奥行きを与えてくれ、楽しみを膨らませてくれている。

野村さんの作品は見て終わりじゃなくて、見てからが始まり、いや、「EYES」シリーズは、自分が作品に見られているという感覚を得てから始まるのだ。

会期半ばの訪廊。すでに、かなりの点数が売約済みになっていたが、ガチで悩み抜いた末に、お気に入りの一枚を購入した。初めての油彩画作品が野村さんの作品であったことに、すこし誇らしい気分にもなったりした。