サイ・トゥオンブリーの写真-変奏のリリシズム-@DIC川村記念美術館

初めてのDIC川村記念美術館のお目当は、サイ・トゥオンブリーと常設展。ようは全部。でも、今まではほぼノーマークの美術館。それにサイ・トゥオンブリーのこともあまり知らなかった。原美術館の企画展は知ってはいたけど、予定にも入れずにそのまま会期を終えた。

じゃあなぜ今トゥオンブリーを見たくなったかというと、いつだったかポラロイドの写真集「Photographs」を見てからだ。代表作のぐるぐるした絵はそそられなかったが、ポラ作品は妙に惹きつけられた。いつか実物が見られたらいいなと思っていた。そんな折りに川村記念美術館で企画展が開催されることを知り、清水穣さんの講演会に合わせて観賞することにした。

さて、美術館内のトゥオンブリー展は最後のスペースらしい。あせらず常設展から順路どおりに進んで観賞することにした。途中のロスコ・ルームは期待以上で、感想が長くなったので別稿にまとめた。

さて、トゥオンブリー展。前半の最初期のモノクロ写真やドローイング、彫刻の作品に触れつつ、ようやくメインのポラロイド作品のスペースへと向かう。

ポラロイド作品といっても、額装されたプリントはオリジナルのポラロイドではなく、2.5倍に引き伸ばされた複製だ。とはいえ複製方法に並々ならぬこだわりがあり、ゴム印画法の発展形とされるフレッソンプリントか、そのフレッソンと同じ効果を求めてトゥオンブリー自身の工房によるカラードライプリントで複製された。その複製にエディションをつけて販売している。どれもエディションナンバーとエンボスで「CT」と刻印されている。複製だけどオリジナルプリントだ。

どれもピンボケのイメージばかりで、強いて言えば柔らかな画面はポラロイドのとの相性がよいかもしれない。しごく日常的な生活の空間から、アトリエの作品を写したものもある。焦点にとらわれない、とらわれたくないということだろうか。ある意味「ゆるふわ系」と言えなくもない。

清水穣さんの講演会で、トゥオンブリーは絵画、彫刻、写真が三つ巴というか、互いに牽制し合うことで成り立っていて、かつ互いに補完しようとしている、ということを言っていた。早い段階から3つの表現を取り入れながら、作品を作っていたらしい。写真も若い頃から撮ってはいたが、ポラロイドを作品として発表しはじめたのはキャリアの晩年からになる。満を持したのか、せっかくだから発表したのか、その辺はどうかはわからない。後出しで伝えたかったことってなんだろうと考えたりする。清水さんの話はかなりディープな考察で、あまり理解できなかったが、うっすらと全体像はつかめた気がする。まあ学術的なアプローチもたまにはよい。

3つの手法を知ることによってはじめてトゥオンブリーを理解できるというのは確かだろうけど、まずもってこのポラロイド作品がとても魅力的だった。100点ものオリジナルプリントに酔いしれることができて、ロスコ・ルームという収穫もあり、生モネ、生レンブラントを拝めて、川村に足を運んで大正解だった。

もちろん図録は購入した。コストパフォーマンスは素晴らしい。素晴らしいが、さらに網羅的にトゥオンブリーの「Photographs」の作品を紐解いてみたくなった。ここを軸にして、サイ・トゥオンブリーを深く知ることができたらおもしろい。

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マーク・ロスコ《シーグラム壁画》@DIC川村記念美術館


DIC川村記念美術館はサイ・トゥオンブリーの企画展がメインだったけど、想像以上にマーク・ロスコがよくて、トゥオンブリーとは別稿でまとめることにした。

マーク・ロスコの《シーグラム壁画》。この作品のために用意された部屋が「ロスコ・ルーム」で、7点の壁画がぐるりと囲む作品空間になっている。ロスコの壁画を見られるのは、世界でも4か所しかない。「ロスコ・ルーム」と名のつく場所は3か所で、ロンドンのテート・ギャラリー、ワシントンのフィリップ・スコレクション、そして佐倉市のDIC川村記念美術館だ。もうひとつは、「ロスコ・チャペル」と呼ばれ、ヒューストンのメニル・コレクションにある。

まあ、ウィキペディアに載ってそうなことはその辺にしておいて、実物を見ての感想を。

ロスコ・ルームは美術館の一階の最奥にある。出入口は衝立のような壁を中央に配して二手に分かれている。警備員が張りつく右手から入ると、部屋は横長の七角形を成し、壁ひとつに1点ずつ壁画がかけられていた。どれも高さは2メートルはゆうに超える。ただ大きさに圧倒される感じはしなかった。というのも、照度をかなり抑えたスポットライトで壁画を照らしているので、最初は薄ぼんやりと赤褐色の壁が確認できるくらいにしか見えなかったからだ。

しばらくして、少しずつ目が慣れて瞳孔が開いてくると、7枚の壁画がぐぐっと立ち現われてきた。薄暗さには理由があったのかもと思えた。作品保護の意味もあるかもしれないが、どちらかというと壁画だけを際立たせるより、部屋全体をひとつの作品としてとらえられるようになっているようだ。部屋の中にどっぷりと浸かるような感覚になる。

それから一枚一枚をじっくり観たり、一枚の中の細部に目をこらしたりして、矯めつ眇めつ観賞する。そしてまた、全体を見渡して、空間に浸るように佇んでみる。まったく飽きない。それどころか、見れば見るほど楽しくなってくる。このところ美術品を観ていて湧きあがってくるのが「やべぇ、すげーおもしろい」ってシンプルな感情だ。モランディ以来、久しぶりにそれがやってきた。

この時代の抽象絵画についてそれほどの興味があるわけではないけれど、少なくともマーク・ロスコは、きわめて魅力的に映った。時間が許せばいつまでも居続けたい場所だった。そう、見続けたいというより、居続けたいだ。

DIC川村記念美術館はロスコのためだけにでも再訪したい場所だ。