ルイジ・ギッリ写真集「POLAROID – L’OPERA COMPLETA – 1979-1983」


1992年に49歳の若さで夭折したイタリア人写真家のルイジ・ギッリ。2013年にMACKから復刻した「Kodachrome」と2014年のみすず書房発行の「写真講義」。この二冊をきっかけに国内でも再注目、再評価されている。長く写真をやっている人からすると懐かしいという声をよく聞く。それだけ、亡くなってからは名を聞かなくなってしまっていたのだろう。

私はというと、再注目も再評価もなにも復刻版「Kodachrome」をきっかけに初めてルイジ・ギッリを知ったクチだ。書籍は買わずに、MACKが(実験的に?)リリースした電子書籍版をiBooksからダウンロードして見ていた。別に「ルイジ・ギッリいいね!」と思ったわけではなく、「MACKが電子書籍? 試しになんか落としてみるか。ど・れ・に・し・よう・か・な」って感じでダウンロードしただけだ。写真講義もまだ読んでいないしね。

ただ、ギッリのポラロイド作品集があることを知ってから、気になって仕方がなくなってしまった。1978年が初版で、2003年に再販されている。たまに検索しては古書を探し、良さそうな再販版をやっと入手した。こいつがむっちゃいいんですよ、ほんと。今のところ、ギッリの写真集はこれだけでいいや。そのくらい気に入りました。


ついでと言ってはなんなんだけど、ちょうどタカ・イシイギャラリー 東京でギッリの70年代のプリントをセレクトした写真展が開催されていたので、他の有名アートギャラリーも集結した「complex665」に初めて行って見てきた。ますますギッリ好きになりそうだ。しかし、ここは敷居高し。


それと、ルイジ・ギッリが好きになりつつあるのも、どうやらイタリア人写真家というのもポイントになってるみたい。フェデリコ・クラヴァリーノとかグイド・グイディとか、まったく知らなかったけど、写真集見て気に入って買ったらイタリア人だったてのがチラホラ。写真に共通する要素があって、そこが琴線に触れるのかな。そういう視点で体系的に見返すのも面白そうだ。

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ポラロイドの写真集〈その1〉

今年になってポラロイドで撮った写真集が気になりだして、ちょっとずつ集めている。きっかけとなった最初の一冊はタルコフスキーの「Instant Light: Tarkovsky Polaroids(Thames & Hudson, 2006)」。とろけるような儚くて耽美なイメージに頭を撃ち抜かれた。いまでは手放したくないお気に入りの写真集となった。それからトゥオンブリーの作品集を手に取ったのがきっかけで、他にもポラロイドで撮った写真集があってもおかしくないと思ったら、いろいろと出てくる出てくる。

というわけで今はこんな感じ。一応発刊年代順で。


André Kertész: From My Window」(New York Graphic Society, 1981)

ケルテスは自室の窓辺でひとつのガラスのオブジェを映しこんで撮影している不思議な作品。一般的なケルテスのイメージとは一線を画す。複数のガラスのオブジェを撮影した「The Polaroids」もあるらしく、どういう編集になっているのか気になるところ。


Walker Evans: Polaroids SCALO, 2002

エバンスのはいま無きスカロ社から出版されたもの。看板や道路標識などのサインなどを集めた写真集。2650点以上から厳選した100点あまりをまとめている。体が弱ってきている晩年のエバンスが、発売間もないSX-70を手に、時間を惜しむように撮り続けたと思うと感慨深い。


Andrey Tarkovsky: Instant Light – Tarkovsky PolaroidsThames & Hudson, 2006

タルコフスキーは写真家にもファンが多いようだ。あの独特の映像美に引き付けられるのもうなずける。先にも書いたが、あの耽美な映像とポラロイドの発色との相性は抜群で、タルコフスキーの世界観を表現するためにポラロイドがあるのではと錯覚するほどのマッチングだと思う。心底からほれぼれする写真集。


Robert frank: Seven StoriesSteidl, 2009

ロバート・フランクの作品は、何気ないオフショットをまとめた中綴じの7冊組の写真集。ポラロイドに直接書きなぐられたメモも興味深い。たしか「世界一美しい本を作る男(How to make a book with Steidl)」でこの本の編集作業シーンがあった気がする。アシスタントのA-Chanといっしょになって、楽しそうにちまちまとマケットかなにかをめくっているのがかわいらしかった。フランクは編集者としての力量も知られている。おそらく人任せにできない性格なのと、編集が好きなんだと思う。写真を撮り編集も自ら手がけるやり方は、「メモワール」における古屋誠一と通じる。今は版元完売でプレミアがついてしまっているが、どうやら同じSteidlから再版される見込みらしい。ただし、今のSteidlはかなり予定が詰まっているのでいつになるかは定かでない。


GUY BOURDIN: POLAROIDSEditions Xavier Barral, 2010

ギイ・ブルダンのことは全く知らなかったが、ファション界では巨匠とのこと。ポラロイドマスターと呼ばれるくらいインスタントカメラの達人だったようだ。ポラロイドとピールアパートの写真で構成されている。セクシャルで挑発的なイメージは、個人的には守備範囲外なんだけど、あまりのかっこよさに手に入れた。


宇戸浩二「22203㎠」(Self Publishing, 2015

宇戸浩二「22203㎠」は受注生産品でポラロイドの原寸サイズの印刷物を一枚一枚貼り付けて糸かがり製本をしている。途中からインポッシブルフィルムに切り替わっているので厳密にはポラロイド作品とはいえないかもしれないけど、現物の手製本をみるとコレクションに入れざるを得ない。ルーニィで一目ぼれして予約した。


サイ・トゥオンブリー「サイ・トゥオンブリーの写真変奏のリリシズム」(DIC川村記念美術館, 2016

サイ・トゥオンブリーのは、先のDIC川村記念美術館での展示に際した図録。ポラロイドの原版にしたドライプリントの一種であるフレッソン印刷がエディション作品になっている。本当はこれまで3、4冊出ている「PHOTOGRAPHS」シリーズの方が欲しいんだけど、なんとなく今は図録で満足してしまっている。でもいつか買う。


吉増剛造「瞬間のエクリチュール」(edition nord, 2016

吉増剛造の「瞬間のエクリチュール」は、一枚一枚手に取れるマルチプル作品になっている。裏面にびっしりと直筆の詩がつづられている。もちろん印刷ではあるのだけど、オリジナルのポラロイドと見まごうばかり仕上がりで、ここまでやるかと思うほどの徹底した再現ぶりだ。版元のエディション・ノルトは新潟の南魚沼に拠点を置いている。最先端の印刷・製本技術を駆使して、主にアーティストブックを手がけている。伊丹豪のアクリル表紙の無線綴じは驚愕かつ変態的な特許技術だった。伊丹作品の変態的でソリッドなイメージにぴったりだ。


インスタントカメラは小学校四、五年生の頃に家にあった。たぶん父親が買ったんだろう。その時に飼っていた猫や自分の写真がまだ残っている。記憶をたよりにググってみると、どうやら当時の機種はボック型の600シリーズだったらしい。カラーは黒だった気もするが、はっきりと覚えていない。

ポラロイドは撮ってすぐに像が出るので、その場で共有することができる。その即時性はとてもSNS的。今になってチェキやインポッシブルが支持されるのもわかる気がする。そういえば、チェキのスクエアフォーマットが発売されるらしい。これは使ってみたい。

なんとなく思いつきで、シノゴを始めてみようと思っている。コダックやフジのシートは高騰と廃番の一途。さえない状況だけど、フォマとかなら価格的にまだまだいける。にしてもフジには4x5のピールアパートは残してほしかったな。チェキのスクエアもうれしいんだけどね。まあ、いっそチェキの4x5でもいいからさ。

ポラロイドの写真集〈その2〉はこちら

サイ・トゥオンブリーの写真-変奏のリリシズム-@DIC川村記念美術館

初めてのDIC川村記念美術館のお目当は、サイ・トゥオンブリーと常設展。ようは全部。でも、今まではほぼノーマークの美術館。それにサイ・トゥオンブリーのこともあまり知らなかった。原美術館の企画展は知ってはいたけど、予定にも入れずにそのまま会期を終えた。

じゃあなぜ今トゥオンブリーを見たくなったかというと、いつだったかポラロイドの写真集「Photographs」を見てからだ。代表作のぐるぐるした絵はそそられなかったが、ポラ作品は妙に惹きつけられた。いつか実物が見られたらいいなと思っていた。そんな折りに川村記念美術館で企画展が開催されることを知り、清水穣さんの講演会に合わせて観賞することにした。

さて、美術館内のトゥオンブリー展は最後のスペースらしい。あせらず常設展から順路どおりに進んで観賞することにした。途中のロスコ・ルームは期待以上で、感想が長くなったので別稿にまとめた。

さて、トゥオンブリー展。前半の最初期のモノクロ写真やドローイング、彫刻の作品に触れつつ、ようやくメインのポラロイド作品のスペースへと向かう。

ポラロイド作品といっても、額装されたプリントはオリジナルのポラロイドではなく、2.5倍に引き伸ばされた複製だ。とはいえ複製方法に並々ならぬこだわりがあり、ゴム印画法の発展形とされるフレッソンプリントか、そのフレッソンと同じ効果を求めてトゥオンブリー自身の工房によるカラードライプリントで複製された。その複製にエディションをつけて販売している。どれもエディションナンバーとエンボスで「CT」と刻印されている。複製だけどオリジナルプリントだ。

どれもピンボケのイメージばかりで、強いて言えば柔らかな画面はポラロイドのとの相性がよいかもしれない。しごく日常的な生活の空間から、アトリエの作品を写したものもある。焦点にとらわれない、とらわれたくないということだろうか。ある意味「ゆるふわ系」と言えなくもない。

清水穣さんの講演会で、トゥオンブリーは絵画、彫刻、写真が三つ巴というか、互いに牽制し合うことで成り立っていて、かつ互いに補完しようとしている、ということを言っていた。早い段階から3つの表現を取り入れながら、作品を作っていたらしい。写真も若い頃から撮ってはいたが、ポラロイドを作品として発表しはじめたのはキャリアの晩年からになる。満を持したのか、せっかくだから発表したのか、その辺はどうかはわからない。後出しで伝えたかったことってなんだろうと考えたりする。清水さんの話はかなりディープな考察で、あまり理解できなかったが、うっすらと全体像はつかめた気がする。まあ学術的なアプローチもたまにはよい。

3つの手法を知ることによってはじめてトゥオンブリーを理解できるというのは確かだろうけど、まずもってこのポラロイド作品がとても魅力的だった。100点ものオリジナルプリントに酔いしれることができて、ロスコ・ルームという収穫もあり、生モネ、生レンブラントを拝めて、川村に足を運んで大正解だった。

もちろん図録は購入した。コストパフォーマンスは素晴らしい。素晴らしいが、さらに網羅的にトゥオンブリーの「Photographs」の作品を紐解いてみたくなった。ここを軸にして、サイ・トゥオンブリーを深く知ることができたらおもしろい。