【1/4】オリジナルプリントを買うなんて誰にも勧められない。

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最初に買ったオリジナルプリントは、ある若手写真家のCタイプのカラープリントだった。それまで実用品(カメラ機材も含む)以外で何万円もの買い物をするのは初めてで、自分のお金の使い道としては異例中の異例だった。

写真のワークショップに半年通って、写真を販売するギャラリーがあることを知り、写真を買おうと思えば買える世界があることを知った。その時はまさかそこまでは無いなと思っていたが、講師のある言葉だけが耳に残った。 続きを読む

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亀山仁写真展「Thanaka II 雨安居」@ギャラリー冬青

先日、亀山仁さんの個展を見てきた。冬青での初個展から2年半がたっている。今回も継続的に撮影しているミャンマーの続編だ。少しずつ撮り貯め、吟味し、着実に形にしているのがうかがえる。

私が来た時は、数人の先客がいて、ずいぶん盛り上がっていた。軽く挨拶を交わして、まずは壁の写真に目を向ける。

プリントは見るたびに魅せられる。バライタのファインプリントはこうでなくちゃと素直に思える。それに亀山さんの写真を見ると妙に落ち着くのだ。きれいな写真というのが、一概に褒め言葉ではないかもしれないが、亀山さんのそれには自然と美しさを感じるし、人柄を感じさせる。

別紙のキャプションが面白い。短文でエピソードが添えられている。亀山さんに解説してもらうとさらに理解が深まる。

前回に比べて、より生理的な反応でシャッターを切っているようだった。自分がそこに佇んで、その風景を見ている。人と再会しておしゃべりしている。それがただ写真に写っている。そんな感じ。中には、自分が見ているという自我すら感じない写真もあった。

画面映えは求めていないが、プリントは美しい。飽きることなく、ずっと見ていられる写真ということだ。

それで思い出したのが、写真家の渡部さとるさんが同期で常々天才だと言わしめている写真家・山下恒夫さん。渡部さん曰わく「作為の無い撮り手」「カメラで撮っているという感じがしない」写真家だという。齋藤亮一さんについても似たようなことを言及していた。

作為を無くすというのは、並大抵のことではない。おそらく追い求めるものでもない。もちろん撮影技術や経験は必要かもしれないが、作為を無くすというのは、腕を磨いて習得するものではない。自ずとそうなる人だけがそう撮るだけなのだと思う。これは羨んでも仕方がない類のものだ。

きっと亀山さんも、そういう写真家になりつつあるのではないだろうか。次回の個展も決まったそうで、どんなミャンマーを見せてくれるのかこれから楽しみでならない。

井津建郎写真展「Eternal Light -永遠の光-」@ZEIT-FOTO SALON

京橋のツァイトフォトサロンで井津建郎さんの個展を観に行ってきた。

聞きしに勝る極上の銀塩プリントだった。

実はツァイトは初めて。日本で最古参の商業ギャラリーということは知ってはいたものの、気になる企画展もなんとなくスルーしてしまっていた。そこに井津建郎さんの個展開催が目に止まる。しかも、国内ではなかなかお目にかかれない銀塩作品とくれば、もう見に行くしかないだろう。

井津さんはニューヨーク在住の写真作家で、プラチナパラジウムプリントは世界的に定評がある。以前、御茶ノ水のギャラリーバウハウスでプラチナプリントを拝見したことがあり、壮大で美しいプリントに息を飲んだのを覚えている。

今回の銀塩も素晴らしかった。インドを二年以上掛けて丹念に撮影したシリーズで、一枚一枚がドラマチック。ダイナミックレンジの広いバライタプリントにうっとりする。土着の死生観を追ったドキュメンタリーであり、極上のファインアートだと思う。

とりわけ気になったのが、ガンジス河岸の火葬の写真。葬儀の形式はその土地の風習を如実に表す。モノクロの炎に自然と引き込まれた。

予算があれば購入したいプリントがあった。おそらく国内の販売価格はかなり抑えられているはずだ。それでも、残念ながら手が出なかった。またいつか国内での展示があれば、ぜひ検討したいと思う。これは巡り合わせというものがあって、予算だけでもないんだけど。

ちなみに、奥様の由美子さんもプラチナプリント作家であり、その繊細なプリントワークはご主人を凌ぐともいわれている。実際に「Noir」と「Blanc」のシリーズを初めて見た時は、しばらくその場を離れられなくなった。プラチナならではの連続階調を堪能するにはこれ以上無い作品ではないだろうか。

実はその奥様のプラチナプリントは一年ほど前に購入させていただいた。プラチナは自然光に映えると聞いたことがあるが、まさにその通りで、カーテン越しのプリントはいつまでも見ていられる。

いつかご夫婦のプリントが揃う日が来たらうれしいな。

 

下平竜矢写真展「星霜連関」@新宿ニコンサロン&東塔堂

下平さんの展示を見てきた。時期が少しずれてはいるが、新宿ニコンサロンと東塔堂のほぼ同時開催だ。

以前から「下平竜矢」という名前は聞き及んでいた。トーテムポールフォトギャラリーにも所属していたことも知っていたが、なんとなく今まで見る機会がないままだった。

初めての下平竜矢さんはごく最近の話で、写真集の「星霜連関」。たしかFBのタイムラインにそれが出てきて、すかさず写々舎のサイトで購入。これが無茶苦茶かっこよかった。すっかり下平ワールドにハマってしまう。

禅フォトの個展を見逃していたこともあり、必ずどこかでプリントを見たいと思っていたところ、早々に新宿ニコンサロンと東塔堂の同時開催をするという。10年間の集大成。怒涛の展示ラッシュだ。

先に東塔堂へ。下平さんも在廊されていた。風景のミニプリントが十数枚並んでいた。写真とナチュラルウッドの額装は店内とうまく溶け込んでいる。風景写真のみのセレクトで、写真集で感じた熱量が抑えられて、どこか神々しい静けさを漂わしていた。

下平さんに伺うと、ニコンの方は人物を交えた「星霜連関」の全容を掴めるセレクトで、東塔堂は試験的に風景だけを選んでみたという。「どうなるかはわからないけれど」と付け加えつつも、「これからは風景を追っていきたい」と言っていた。ここでは小部屋の滝の写真が気になった。

それから日を改めて新宿ニコンサロンへ。会場に入るやいなや総毛立ってしまった。写真集の持つ熱量をさらに上乗せしたような印象。でも激しさや苛烈さではなく、どこまでも厳かな雰囲気だ。

こちらもナチュラルウッドの額装で、プリントとのバランスがとれていて、品よく仕上がっていた。モノクロには黒枠という不動とも言える定番があるけど、見え幅やマットのバランスが良ければ、これだけかっこよくなるのだと実感する。

下平さんのサイトに記載されている「星霜連関」の言葉が簡潔ながら印象的で、今回の額装がしっくりきた理由にもなる気がする。

人間はどこから来てどこへ向かうのか

人、土地、祭り

幾星霜をかけ、天地(あまつち)と関わり続ける人々と土地の神話

Tatsuya Shimohira – 星霜連関 SEISORENKAN

大げさかもしれないけれど、ウッドフレームが、どこか「宮造り」のようにも受け取れた。額装には単なるセンスの良いとかではない、必然性を感じた。ニコンはよく練られた完成度の高い展示だったし、東塔堂は実験的なランドスケープのセレクトで、これからの期待感が膨らむ展示だった。