ジョルジョ・モランディ「終わりなき変奏」@東京ステーションギャラリー


今回は気分を変えて、東京ステーションギャラリーのジョルジョ・モランディ展へ。油彩もドローイングもほんと良かったけど、エッチングが特に好みだったな。同じようなモチーフを飽きもせずこれだけ書き続けたことはすごいと思った。側から見れば飽きもせずとなるけれど、本人にとって、それどころか、この繰り返しがとても楽しく、発見の連続だったのではないかと推察する。

前回の投稿でも書いたけど、個人的に「二枚組」が緩く長く続いているブームで、写真展や写真集に限らず、いろんなメディアで、組み物の最小単位である二枚組(一対)が成立してそうなものを探すようになった。

この展覧会でもまた一つヒントを得た。まさにモランディのようなアプローチで組み合わせると、違いに引っかかりを持ちながら、見ていて心地の良い構成になる気がする。

同類の収集だとタイポロジーが思い浮かぶけど、それと、この二枚組のマッチングとは意味合いが違うかな。ベッヒャー夫妻の給水塔とかは、もっと複数の集合体で何かを見せようとする試みで、グリッド状に面で並べることでそれが強調される。

方や二枚組はもう少し類似の差を詰めて「微差」や「酷似」というニュアンスまで持ってくると面白くなる気がする。モランディ展でも、擬似的に二枚組に見立てながら観賞したら、これがなかなか良い。そうそうこれこれという感じ。

あくまで持論。専門家からすれば、すでに出尽くされた方法論かもしれないけど、素人なりに探求するのもありかなと。機会があれば枚数組について教わってみたい。

ジョエル・マイロウィッツがモランディのモチーフにしていた小物たちを撮影した写真集と今回の図録を見比べて見るとまた面白い。アトリエ写真はいろんな写真家が撮っているようだけど、何か惹きつけられるものがあるんだろうなあ。

写真集の「少し違う」と「ほとんど同じ」

Italia o Italia – Federico Clavarino
すでに語りつくされた方法論かもしれないけれど、何となく興味を持ったので、自分なりに考えたことを書いておこうと思う。

それは写真集の見開きで類似イメージの二枚組のこと。今までそれほど気にも留めてなかったけど、ここ2、3年で買った写真集に、一冊の中で多用している作家が多かったので、少しずつ気になりだした。全編にわたって類似のイメージを収集したタイプの写真集ではなくて、いろいろと異なるイメージの中に、ふと同じようなイメージの二枚組のページが現れるタイプのものだ。二つ並びのイメージはまるっきり同じという例ははあまりなくて、「少し違う」とか「ほとんど同じ」とか、そういう印象を持つ二枚組が多い。同じロケーションで時間軸をずらしたり、違う角度で撮ってみたり、または場所を変えて似た構図を揃えたりと、バリエーションはいろいろある。

Italia o Italia – Federico Clavarino
見ていて思うのは、間違い探しをしている感覚になるなと。ページをめくった時に、同じようなイメージが並んでいると、つい見比べてしまう。何かしら違和感を覚えて手が止まり、しばし考える。

(ん? 同じ?)

(いや、違うか…)

(どう違う?)

(どこが同じ?)

(似てるな…)

(なんで?)

思考とともに目が往復し、見開きページの滞空時間が長くなる。左から右への目線のリズムに変化が生まれる。視覚のリフレイン効果が生まれるからか、とても印象に残りやすい。

An Index of work As Labor As Work – Daniel Shea
An Index of work As Labor As Work – Daniel Shea
編集者を交えたトークショーで、写真集の編集はシークエンスに一番時間を割くと聞いたことがある。何度も何度も繰り返し組み直したり、抜き差しをして納得のいく流れに持っていくのだそうだ。加えてイメージサイズ、余白の取り方、キャプションやノンブルの付け方などで、全体像として何かしらの意図を伝える。言葉にならぬメッセージをどう伝えるか。写真集の魅力のひとつだと思う。

そういう仕掛けの中に、この見開きに類似のイメージを並べる方法もあるのだろう。坦々と見せるタイプの写真なら逆効果かもしれないけど、予定調和を崩したい場合は面白いかもしれない。坦々とした写真でも、全編わたる構成なら有効かもしれない。

そういえば、あるキュレーターの方に壁面の展示での二枚組は難しいと言っていたような。見る方がどちらかのイメージに引っ張られて、片方の印象が薄くなるんだとか。単なる好みで見られてしまいやすいというのもあるのだろう。二枚組の難しさを解決する一つの方法が類似イメージかなと思った。二枚を偏りなく見てくれそうだし、ある意味、一枚画として見ることもできる。

それで思い出したけど、渡部敏哉さんの“Thereafter”というシリーズがあって、それは震災後の故郷・浪江町を数回にわたって記録した作品だ。定点観測的に何箇所かを撮影し、時間の異なる同じ場所を二枚組にしている。ゆっくりとだが、確実に変化していく様を二枚組で見事に表していた。震災の写真をどう扱うかというデリケートな議論はあると思うけど、その議論を超えたところに渡部さんの写真が存在していると思う。

まあ、私は編集の専門家ではないので、全くの的外れかもしれないけれど、写真好きな素人のつぶやきと読み流してもらえたら幸いです。

Tranquillity – Heikki Kaski
Tranquillity – Heikki Kaski

サイアノタイプキット

移転後のPGIに初めて行ってきた。目的はふたつあって、ひとつは川田喜久治「Last Things」のトークショー。もうひとつはサイアノタイプキットの購入。濃厚トークショーの感想はまた別の投稿に譲るとして、やっとキットを入手した。通販でもよかったんだけど、移転したし、川田さんだし、直接行きたいなと。

このキットはBostick & Sullivan製。オルタナティブプロセスの定番メーカーで、PGIが代理店をつとめている。まずは手堅くという感じ。

はじめに焼き枠を買って、実はすでにUV露光機の配線は終えていて、そしてサイアノタイプキットが揃った。細かいこと言えば、オキシドールや精製水や薬瓶なんかも必要なんだけど、一番問題なのは、デジタルネガ製作の環境がないことかな。これは当分無理。かといって、大判はさらにハードル高いし。しばらくは中判ネガか、フォトグラムでいろいろやってみようかな。田村写真でネガプリントだけお願いしてもいいかも。

サイアノタイプ挑戦は緩やかに進行中。まだ先は長そうだ。