写真集の「少し違う」と「ほとんど同じ」

Italia o Italia – Federico Clavarino
すでに語りつくされた方法論かもしれないけれど、何となく興味を持ったので、自分なりに考えたことを書いておこうと思う。

それは写真集の見開きで類似イメージの二枚組のこと。今までそれほど気にも留めてなかったけど、ここ2、3年で買った写真集に、一冊の中で多用している作家が多かったので、少しずつ気になりだした。全編にわたって類似のイメージを収集したタイプの写真集ではなくて、いろいろと異なるイメージの中に、ふと同じようなイメージの二枚組のページが現れるタイプのものだ。二つ並びのイメージはまるっきり同じという例ははあまりなくて、「少し違う」とか「ほとんど同じ」とか、そういう印象を持つ二枚組が多い。同じロケーションで時間軸をずらしたり、違う角度で撮ってみたり、または場所を変えて似た構図を揃えたりと、バリエーションはいろいろある。

Italia o Italia – Federico Clavarino
見ていて思うのは、間違い探しをしている感覚になるなと。ページをめくった時に、同じようなイメージが並んでいると、つい見比べてしまう。何かしら違和感を覚えて手が止まり、しばし考える。

(ん? 同じ?)

(いや、違うか…)

(どう違う?)

(どこが同じ?)

(似てるな…)

(なんで?)

思考とともに目が往復し、見開きページの滞空時間が長くなる。左から右への目線のリズムに変化が生まれる。視覚のリフレイン効果が生まれるからか、とても印象に残りやすい。

An Index of work As Labor As Work – Daniel Shea
An Index of work As Labor As Work – Daniel Shea
編集者を交えたトークショーで、写真集の編集はシークエンスに一番時間を割くと聞いたことがある。何度も何度も繰り返し組み直したり、抜き差しをして納得のいく流れに持っていくのだそうだ。加えてイメージサイズ、余白の取り方、キャプションやノンブルの付け方などで、全体像として何かしらの意図を伝える。言葉にならぬメッセージをどう伝えるか。写真集の魅力のひとつだと思う。

そういう仕掛けの中に、この見開きに類似のイメージを並べる方法もあるのだろう。坦々と見せるタイプの写真なら逆効果かもしれないけど、予定調和を崩したい場合は面白いかもしれない。坦々とした写真でも、全編わたる構成なら有効かもしれない。

そういえば、あるキュレーターの方に壁面の展示での二枚組は難しいと言っていたような。見る方がどちらかのイメージに引っ張られて、片方の印象が薄くなるんだとか。単なる好みで見られてしまいやすいというのもあるのだろう。二枚組の難しさを解決する一つの方法が類似イメージかなと思った。二枚を偏りなく見てくれそうだし、ある意味、一枚画として見ることもできる。

それで思い出したけど、渡部敏哉さんの“Thereafter”というシリーズがあって、それは震災後の故郷・浪江町を数回にわたって記録した作品だ。定点観測的に何箇所かを撮影し、時間の異なる同じ場所を二枚組にしている。ゆっくりとだが、確実に変化していく様を二枚組で見事に表していた。震災の写真をどう扱うかというデリケートな議論はあると思うけど、その議論を超えたところに渡部さんの写真が存在していると思う。

まあ、私は編集の専門家ではないので、全くの的外れかもしれないけれど、写真好きな素人のつぶやきと読み流してもらえたら幸いです。

Tranquillity – Heikki Kaski
Tranquillity – Heikki Kaski

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モノクロプリントは焼き魚みたいなもの

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自宅でシシャモを焼いてほおばったり、定食屋で塩サバをつまんだりした時の、あの身にも心にも染み入るような幸福感。もう堪らない。焼き魚大好き!

銀塩のモノクロプリントって、自分にとっての焼き魚みたいな存在だったりする。家で焼くシシャモはさながら暗室作業で、定食屋の塩サバは観に行く展示とも言えなくもない(失礼)。同じ魚料理でも、刺身や寿司とかの感じではなくて、やっぱり焼き魚がしっくりくる。メーラード反応で旨味が増した感じの方が近い気がする。

なんの話だか分からなくなってきたし、また時間がたったら、「モノクロプリントって、目玉焼きみたいなもんだよね」とか言ってそうだけど。

さて、今月、来月に食べたい焼き魚の数々はこちら(爆)。