book obscura@吉祥寺(井の頭)

吉祥寺の井の頭恩賜公園にほど近い、オープンしたての古書・新刊書店「book obscura」に行ってきた。写真集を中心にリトルプレスなどを扱っている。吉祥寺からも歩いて行けて、井の頭公園を抜けるようにして散策しながらゆったりとした気分で立ち寄れる。店内も落ち着いた雰囲気で、居心地が良い。それほど広いスペースではないものの、ほとんどの本を腰から下のスペースに収めているので、目線がすっきりしていて抜けのいい空間になっている。

店主の主観を交えた本の紹介の仕方がうれしい。「1ページ、1ページ、ゆっくり見てください」とさりげなく促したり、ページを開いて平置きしたりとか、ちょっとしたことだけど、気が利いている。まずは開いて中を見てもらう。そこから写真集の魅力を伝えようとしている。ここの店主、写真集がほんと好きなんだろうなあってすぐわかる。

展示スペースもあり、竹之内祐幸「The Forth Wall」が開催されていた。フォトアクリル額装の瑞々しいイメージが、店内に差し込む自然光と相まって美しさが際立っていた。第四の壁というタイトルも写真の印象と合っている。同時開催のPGIも見てみたくなった。

私がお店に入って間もなく、通りかかった親子が入ってきた。お母さんと幼稚園の年長さんくらいの男の子。きっと井の頭公園の帰りだろう。タタッ、タタッと男の子が店内を二、三周する。きょろきょろ見わたすうち、竹之内さんの展示に興味を持ったようだ。お母さんも付いて行き、一緒にあれこれ見ている。やがてDMと写真集を見比べながら、男の子が「あっ、同じ!」と写真を交互に指差す。お母さんも「ほんと同じだね」と続けた。

実は自宅から自転車で行ける距離にある。写真を楽しめる新たな場所。ちょくちょくのぞきに行くことになりそうだ。

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濱野絵美「不確かさの記録」@Open Letter Galery(アーツ千代田3331)

少しさかのぼって、9月に銅版画家の濱野絵美さんの個展に伺った。今のところ、銅版画作品を所有している唯一の作家さんだ。場所は「Open Letter」という土日限定オープンのギャラリーで、今年の5月に渋谷から末広町駅の3331アーツ千代田に場所を移していた。2年前の初個展も同ギャラリーのこけら落としだった。ちょうど版画にも興味が向いていた頃で、タイミングよく濱野さんの作品を見ることができた。まったくの初めてではあったものの、見れば見るほど興味がわき、気に入った一枚を求めた。それから2年が経ち、2度目の個展でどのようになっているのか楽しみにしていた。

濱野さんの銅版画はエッチング技法で製作されている。青インクを基調色として用い、線の集積によるストイックな幾何学的模様が特徴だ。その執念ともいえる作業とは裏腹に、アルシュ紙に定着した青い線分はどこまでも目に優しく届いてくる。ずっと飽きることなく見ていられる作品だ。

今回の新作は線による幾何学模様をさらに掘り下げながら、大型作品に取り組んだり、新たな形態にも挑戦したりしていた。平面的な模様から、より立体的な形に再構築したイメージが含まれていて、まるで三次元座標上で線分が踊っているようなイメージもあった。

藝大を卒業後、社会人として製作と仕事の両立に葛藤しながらも、製作環境を整えつつ、限られた時間で新たな作品に取り組み始めている。作家活動を続けるうえで、誰しもが一度ならず何度も通る道だろう。それでも濱野さんはなんとか踏ん張って地道に活動を続けていくと思っている。そんな期待を込めて、今回も購入を決めた。

版画の世界も奥深く、写真とはまた違った魅力を持った表現方法だ。それでいて意外なほど技法的なプロセスが写真のそれとよく似ている。作品と作家の間に機械や道具が介在するという意味でも共通するし、写真好き、もっと言えばプリント好きならば版画も面白味を感じてもらえると思う。密かに、あと5年以内に版画技法ないし版画作品が再評価されて、ファインアートの表舞台に出てくるのではと見込んでいるのだ。

[記録集]はな子のいる風景 イメージを(ひっ)くりかえす

今年のベストかもしれない。写真研究者の小林美香さんがおすすめしていた一冊だ。あれよあれよという間に完売しそうになっていたので、先日、閉館間際のミュージアムショップに駆け込んで購入してきた。

本書は武蔵野市吉祥寺美術館の企画展『コンサベーション_ピース:ここからむこうへ』に併せて発刊された記録集となる。あいにく展示は見ていないのだけれど、この記録集を手にしただけでも、企画展の力の入れようが窺える。

私は、はな子を直接見に行ったかとがない。テレビ越しにたまに見かけた程度だった。だからあまり大したことは言えないんだけども、はな子の存在した69年間といえば、ほぼ自分の親世代に等しい。旅行や行楽地へ行けば当たり前のようにフィルムカメラで記念写真を撮り、同時プリントに出しては、できあがった写真は次から次へとアルバムに貼り付けた。紙の写真を残す記念写真の全盛期を含む時代だ。

『[記録集]はな子のいる風景 イメージを(ひっ)くりかえす』は、記録としての写真、記念としての写真、記憶としての写真、それぞれの意味を巧みに引き出しながら構成されている。言葉で説明するより実際に見てもらうのが一番なんだろうけど、おそらく完売間近でこれから購入するのは難しいかもしれない。それでも機会があればぜひ見てもらいたい一冊だ。

見る人

三人展、本日無事に終わりました。皆さまありがとうございました。

会期を通じて実感したのは、私はどこまでも「見る人」なんだなあということです。でも、ただ観賞するだけの視点では気づかないことも多い。他の立場として展示を経験したいというのが大きな動機になっています。「見る」ために他のこともするということです。

もし、「あなたにとって、写真で最後に残るものは?」と問われたら? メンバーのひとりが最後に残るのは「撮る」ことだと言っていました。私は迷わず「見る」ことだと答えます。この違いが面白いんです。

プロ・アマにかかわらず、写真家と名乗る名乗らないにかかわらず、立場にかかわらず、写真が好きな人たちにとって、最後に残るものがなんなのか、考えてみるのも面白いかもしれません。

誰かは「プリントする」ことだったり、「笑う」ことだったり、「買う」ことだったり、「売る」ことだったりするかもしれません。それが感情だったり、「こと」だったり、「もの」だったりするかもしれません。すべてはそれから始まる、そういう原点を持つことは、とても豊かなことだと思います。

これからまた「見る人」に戻ります。改めまして、ご来場いただき本当にありがとうございました。

野村浩 展|もう一人の娘には、手と足の仕草に特徴がある。@POETIC SCAPE

会期2週間はもったいない。前回のスピンオフと聞いていたけど、まったくもってそんなことはなく、どうしてどうして、素晴らしいの一言だ。ドッペル現像はさらに加速して、追越車線から一気に前作を抜き去らんとする勢いだ。牛腸茂雄やダイアン・アーバス、ウォーホルなどの引用は遊び心満載。ティルマンスのオマージュとも取れる緻密な空間構成は非の打ち所がない。特にポラロイド作品は目が釘付けになった。写真における複写の面白さ、可能性を示してくれている。

それにしても、展示を見るにつけ「もう一人の娘」を一人の人格として明らかに認めてしまっている自分がいる。さらに言えば、すでに一人歩きし始めているのではないか。作家の手のひらから溢れてしまっているのではないか。そんな感覚になるのだ。

鑑賞者が好き勝手に拡大解釈していくのも野村浩作品の醍醐味ではあるが、作家がコントロールしているようでしきれていない「もう一人の娘」はどうにも穏やかな存在ではない。だからそこ、その境界線に足を踏み入れたくなってしまう。

鏡と穴- 彫刻と写真の界面 vol.4 小松浩子「人格的自律処理」@ギャラリーαM

六切プリントが3千枚、波打つロール紙が270メートル分。立方体物に貼られ、さらに梱包ラップで包まれた大全紙。膨大な枚数のバライタプリントが隙間なく壁面と床面をびっしりと埋めている。定着不足や洗浄不足による残留酢酸の刺激臭が立ち込めている。ただただ呆気にとられ、圧倒される。いろいろ疑問も多い展示だったが、幸いにも YOUTUBE にトークが公開されていた。話を聞くにつれ、わずかながらも小松浩子像が見えてきた。小松さんの作品を拝見するのは初めてだったけれど、振り切れた身体性はとても魅力的に映った。

レーザー墨出し器

展示に合わせてレーザー墨出し器があってもいいなと思って探していた。一般的なレーザー墨出し器は釣鐘型のものが多く、そこそこ高価なものが多い。グループ展などで借りて使ったこともあったが、買うには至らずだった。強いて挙げれば、ブラックアンドデッカー社の安価なものがあるけど、見た目がどうも気に入らない。

あれこれ検索してきたらこんなのを見つけた。

ボッシュ(BOSCH)社のクロスラインレーザー「Quigo Plus

なんといってもこの形とサイズにやられた。65mmの正立方体で、軽量コンパクト。安定のボッシュ製で、しかも実売7千円前後とくればもう買うしかない。

赤色レーザーで、線はやや大きめ。壁に垂直に照射すると等間隔になるメモリも便利そうだ。レーザー墨出しを使い慣れているわけではないので、実践投入でうまくいくかはわからないけど、とりあえず搬入に持っていってもいいかな。

三人展のお知らせ

四年ぶりに写真展を開催します。多人数のグループ展や公募展じゃないものは本当に久しぶり。今回は友人との三人展です。今までは三人ともゼラチンシルバープリントを展示することが多かったメンツですが、今回はそれぞれ違うものになりそうです。三者三様でそれぞれテイストの違う展示になりそうで楽しみにしています。

共通しているのはフォトジェニックなものは撮っていないことです。少なくとも一般的に「いいね」をもらえるような写真でないことは確かです。まあ、そのあたりも狙いの一つになります。

私は二枚組に挑戦します。組み写真の最小単位で、成立させるのが難しいとされている二枚組です。きっかけは「Heikki Kaski: Tranquillity」という写真集。ヘイキ・カシキはフィンランドの写真家で、本作は3年前に直接メールで問い合わせて買った思い出深い一冊です。それからというもの、撮るにしても、見るにしても、二枚組の見立てを考え続けていました。最近ようやく胸にすとんと落ちるものがあり、実際の展示で試してみたくなりました。納得のいく展示になるかはわかりませんが、自分なりに意図のある二枚組になったらなと思っています。

6月ぐらいから撮影を開始して、いまセレクトがまとまりつつあります。先日ギャラリーに赴きレンタルフレームを押さえて、これからマットの発注とプリントの仕上げです。プリントはカラーネガからで、額装しやすい余白を指示できるラボ仕上げを検討中です。

さて、はじめてFBで公開イベントページを起ち上げました。アカウントがない方でも見られるはずです。詳しくはそちらで。もう少し先ですので頭の片隅にでも置いておいてください。

荒木経惟「センチメンタルな旅 1971- 2017-」@東京都写真美術館(TOP MUSEUM)

最終日に滑り込み。写真展あるあるだ。ともかくこれは観られてよかった。

「4|陽子のメモワール」、「4-43 愛情旅行 1984」

陽子さんのポートレートだ。

この展示はこれがすべてだと思った。

異様なまでに美しくて、どうしようもなく愛おしくなる。そんな一枚だ。

yokoaraki
※展示内撮影可

 

以降の写真を観ていると、事あるごとに無性に「4-43 愛情旅行 1984」に戻りたくなってしまう。何往復しただろう。観ても観ても観足りない。陽子以降の写真の理由がちょっとだけわかった気がした。初台のオペラシティアートギャラリーの「写狂老人A」が近しいものに感じられた。

野村佐紀子写真展「Ango」@Poetic Scape

えらいの見ちゃったな。これは実際に観ないとわからないやつなのは確か。

陶然とするモノクロプリント、絶妙なサイズ感、配置や並び、台形の額やマットをはじめとする高度で的確な額装。野村佐紀子写真群のイメージがぐっと拡張された展示だった。

そして写真と言葉が拮抗する書物「Sakiko Nomura: Ango」。噂の製本技術「ツイストハードカバーブックバインディング」が使われている。これが変態的に美しい。天地は水平で小口だけが捻られて製本されている。開くとページが台形になっていて、最初は下辺の方が長く、めくるごとに上辺の方が長くなる。マジシャンがトランプを等間隔で扇型にするように、銀行員が札勘定をするように、美しく捻られいる。一枚一枚の角度が違うため、捻り工程を逆算して一ページごとに割付の角度を変えているそうだ。あーこれ、言葉で説明しても拉致があかない。実際に手にとってみないと理解できない。とにかく触ってめくって気持ち良さを感じて欲しい。

町口さんと野村さんのトークも充実していた。スタイルは対称的。造本に掛ける情熱が煮こぼれるように語る町口さん。口数は少ないが一言で聴き手を怯ませる強さがある野村さん。

町口さんが「これ作ってるとたぁ〜のし〜なぁって」とニヤニヤしながら話すのは聴いていてもうれしくなる。製本にまつわるマニアックな話も粋な落語に聞こえるから不思議だ。時間が許せばいつまでだって聴いていたい。

野村さんは穏やかで口数は少なく、あまり声も張らないが、一言の破壊力がすごい。野村さんは「撮ること」が空気を吸うかのごとく普通に行われている。テーマを決めて撮ることはなく、身の周りに起こる出来事をきっかけにこれまでの写真を選ぶことが多いそうだ。正確な言葉は覚えていないが、「頭でコンセプトを立てたらそれを(写真で)超えることはできないじゃないですか。それよりも先方の事情の方がね」と言っていた。「先方の事情」とは写真に撮られる側の事情ということだろう。野村佐紀子という写真家は被写体と対峙するというよりも、被写体に寄り添い同じ方向を向く意識があるようだ。良い意味で自我が希薄で、自分の感情や都合に左右されてモチベーションが上がり下がりしない。調子が良かろうが悪かろうが撮るものは撮る。自然体で在ろうともしていない。自然体で在ろうと意識した時点で自然体にはなれないのも自明の理。でもそれができないから悩む写真家も多い。

漫画の話で申し訳ないが、ドラゴンボールで人造人間セルとの決闘前に、悟空と悟飯が精神と時の部屋で修行をする話がある。他のメンバーはさらなるパワーアップを目指す中で、二人は違うベクトルで修行を積む。結果として、最高のパワーを発揮するスーパーサイヤ人の状態を無理なく普段から維持できるようになる。普通の状態をすでに最強の状態にすることで、その先の強さ、潜在能力を引き出す土台づくりに成功した。

野村佐紀子さんの状態を例えるなら、常に何の無理もなくスーパーサイヤ人で居られる状態なのではないか。とにかく撮り続けることでしかたどり着けないだろうが、撮り続けたところでたどり着けるとは限らない。これは天賦の才としか言いようがない。きっとこの境地を羨む写真家はゴマンといる。

戦後生まれだからこそできることがある。文学と写真の拮抗を試みる書物。その書物とプリントの展示空間が呼応しながら形を成し、言葉に表せないほどの一体感持って展開した奇跡的な個展となった。

そして何よりうれしかったのは、野村佐紀子という写真家に出会い、あの師にしてこの弟子という凄味をまざまざと見せつけてもらい、ひょっとしたら師も羨む才能を知り得たことだ。