[写真集]石川竜一 いのちのうちがわ

今まで石川竜一を積極的に見てこなかった。嫌っているわけでも興味がないわけでもないのだけど、写真展も写真集もあまり見てこなかった。記憶にあるのは2014年の「okinawa portraits 2010-2012」で、これを見に行ったというよりは、他の展示を見ていた流れでPlaceMに寄っただけだった。彼の強い撮影スタイルに凄みを感じながらも、インパクトが強すぎて思考停止になる感覚があり馴染めずにいた。

今回の原宿の写真展も見逃した。会期終了間際になって写真展があったことを知り、少し興味を持っていたけれど、結局見に行かなかった。それでも「いのちのうちがわ」というタイトルと、SNSにアップロードされたいくつかの写真が頭から離れなくなり、ずっと引きずっていた。ひょっとしてけっこう大切な写真展を見逃してしまったかもしれないと思った。

後日、赤々舎から同名の写真集が出るのを知ってWEBサイトを見てみた。今までの石川竜一とはスタイルが変わっているようだった。といっても彼のスタイルを語れるほど作品を見てきたわけではないので大したことは言えないけれど、どういう経緯で今回の写真になったのか知りたくなった。写真集を見てみたい、とにかく手に取ってみたい、という衝動に駆られた。

ポエティックスケープで予約注文してから3週間、ようやく写真集が自宅に届いた。すぐさま開梱してどっかと写真集を机に乗せてみる。とにかく大きくて重たい。判型はレーザーディスクのジャケットくらいあり、厚みも5cm近くある。分厚いクラフトボール紙の表紙に本紙の束が挟まれてゴムバンドで閉じられている。冊子ではなくポートフォリオ形式で、二つ折りのシートが重ねられていた。スクラム製本するなら二つ折りの折り目をノドにして束ねる作りになるはずだが、二つ折りのシートをそのままラザニアのように重ねてあるだけだった。

装丁と重さに驚いてなかなか本題に入れかかったが、ようやく中身を見てみることに。自動車のタイミングベルトみたいなゴツいゴムバンドを外して表紙のボール紙を除く。タイトルが印刷されたシートをめくり、写真を見ていく。二つ折りのシートを開くと見開きの右側に写真があった。順にめくっていく。

まずその凄まじい解像度と印刷の美しさに気圧される。言い方が変かもしれないが、肉眼を超えた解像度と言えばいいんだろうか。異常な立体感があり、写るものの生々しさを通り越してしまい、逆に冷静に見ていられるくらいだ。

先にも言ったけど、石川竜一を語れるほど彼の写真を見ていない。だから、ここに辿り着いた経緯も知らないし心境もわからない。でもこれは紛れもなくポートレートだと思った。石川竜一はポートレートを撮っていた。「いのちのうちがわ」というタイトルが表す通りだ。

生を知るために表層では飽き足らず、内側のそのまた内側を見ようとする貪欲な姿勢を感じた。目に見える世界の範囲で、かつポートレートととして成立するギリギリのライン。これが組織や細胞、分子までいくと、おそらくポートレートではなくなってしまう。あくまで肉眼で捉えられ、石川竜一が扱えるカメラで写せる範囲。目に見えない側の「生」ではなくて、目に見える側の「生」の極みだ。

だからこそ、これほどの印刷のクオリティが必要だった。過剰なまでの解像度が求められたのではと思う。メタファー任せにせずに、現物で生を訴えるためには、現物を有り有りと見せつけるしかない。極限までの現物感を示したかったのではと想像する。

きっと私は今後も石川竜一を追いかけることはしないかもしれないが、少なくともこの「いのちのうちがわ」は、手元に置いておいて、見るたびに圧倒され続けるんだと思う。