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オリジナルプリントを購入した後のもやもやがピークを過ぎると、いくらか落ち着いた目でプリントを見られるようになる。その一枚と向き合う時間がはじまる。
かといって、買ったことの誇らしさ、その後の経済的な不安、得体の知れない感情のどれも消えてなくなったり、整理整頓されたりすることはない。同居しにくい相容れない想いをぜんぶひっくるめて付き合おうと思えるようになるだけだ。大げさに聞こえるかもしれないが、腰を据えてプリントと向き合う覚悟が生まれてくる。
前にも書いたが、ちゃんと目の前の一枚に向き合ってゆくと、同じものを見つづけることの奥深さを知ることができる。多くの情報や知識から得られる学びと、同じものをしつこく見つづけることで得られる学びとは質が違う。良し悪しではないけれど、同じものを見るというのは、自分を見ていること同義で、見え方が変化したということは、自分が変化したことだと気づかせてくれる。
それには向き合いたいと思える一枚に出会えるかどうかにかかっている。プリントそのものの強度が低ければ、対価を払っていてもいずれ見なくなってしまう。それこそ「こんなの買わなきゃよかった」と後悔だけが残ってしまう。だから同じものと向き合うためには、多くのものといったん向き合う必要がある。玉石混交の写真の中で、一発必中はありえない。ひょっとしたら「石」が「金剛」になることだってあるかもしれない。だからこそ場数を踏まなくては始まらない。
時に節操がない見方をしているかもしれないし、ある意味、一般の人にはストイックすぎるかもしれない。でもそれだけ写真は魅力的で、自然とそういう方向で写真を見るようになっていった。
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