赤々舎で「MASAHISA FUKASE」を予約する

ほぼ「鴉」でしか知り得なかった深瀬昌久の40年間の集大成。「深瀬昌久アーカイブス」の創設者兼ディレクターであるトモ・コスガ氏の人生をかけ心血を注いだ仕事だと拝察する。おそらく今後の写真史で最も重要な書物のひとつになるだろう。そんな大げさな、と思う勿れ。それほどの期待感はあるし、価値があると思う。

全く個人的な話なのだけど、私がとてもお世話になったというか、救ってくれたというか、拾ってもらったというか、つまり返しきれない恩を受けた方が、深瀬氏と面影が似ていて、初めてセルフポートレートを見た時にとても驚いたことを覚えている。しかも生き様もどこか重なるところがあり、勝手に妙な因縁を感じている。

深瀬昌久という写真家と向き合うことが、私の恩人と向き合うことになりそうで、そこはかとない畏れを感じつつも、楽しみにしている自分がいる。

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市川孝典 個展 「street cred by QUIET NOISE」と「Hello, stranger! by POST」

市川孝典さんの展示はナディフでの線香画以来だった。大きく手法を変えながらも、おぼろげな記憶の中のイメージを定着させるというのは一貫していた。

今回は「時間と記憶のズレ」をテーマにした美しくもユニークな展示で、恵比寿のPOSTと池ノ上の QUIET NOISE(以下QN)共に素晴らしい作品だった。

SNSというモチーフで流行性や時代性を持った作品でありながら、これほど見ても見ても見飽きない、これから先、ずっと見続けてもきっと飽きないだろうと確信めいたものを感じる作品は珍しい。

鑑賞距離の変化でもガラリと印象が変わる。特にQNの小作品では距離による変化が顕著で、2、3歩前後するだけでも発見の連続だった。

何気なく目で追っているSNSのタイムライン。画像の読込み中に現れる円形のローディングアイコン。その背後には読み込みが完了する前のぼやけた画もしくは白背景。パッと実像が現れるまでのちっとしたもどかしさ。

すでに読込み済の画像ならば、一瞥で流してしまったかもしれない画像も、読込み中だと期待値が少しだけ高くなる。ほとんどの画像は見えてしまった時に、期待したほどではなかった何でもなさが残る。

日常で何度となく目にする一瞬の不完全さへのささやかな期待感。そこには投稿者の意図や思惑が入り込むこと無く、見る側の記憶や想い出が重なって、脳内で自分寄りの画像に置き換わる。

そんなSNS上での一秒あるかないかの瞬間をとどめ、観る者の視覚と思考を心地よく揺さぶり解放してくれる。これはひとつ手元に置いて、じっくりと向き合いたいと思わせる作品だった。

「カメラを止めるな!」を観る

めずらしく映画鑑賞の話。

あんまり映画とか観ないんだけど、たまたま休日に予定がなくて、なんとなく映画でも観るかと、新宿のケイズシネマに朝イチで行ってみて、すでに20人くらいの行列が出来てて、とりあえず最後尾に並んでみて、15分後にチケット代払って、30分後から予告が始まって、10分後に本編が始まったので、ぼんやり観てみたら、すぐさま引き込まれて、前半が瞬く間に過ぎて、後半がさらにヤバいのなんのって、観終わったら拍手喝采したくなるテンションで、公衆の面前で、「もう、最高かよ!」って叫んじゃったよ、心の中で。

この映画はね、愛ですよ、愛。

この夏、これ観ないと絶対損するよ!!!

版画作品の額装を依頼する

昨年購入した濱野絵美さんの版画作品を額装してもらった。依頼はいつものポエティック・スケープの柿島さん。額装コーディネーターとしても凄腕で、そのうえ版画も得意分野。版画の魅力を知り尽くしているので、安心しておまかせした。

まずは「耳付き」を活かすため、プリントにはオーバーマットを被せずにフローティング仕様に。版画の用紙は四辺を裁断していない耳付きの紙が好まれる。イメージサイズに合わせてカットする場合も、手でちぎるなどしてムラを作ることが多い。版画は紙の厚みや繊維質など、微細な物質感も作品の魅力の一部になっているので、耳を活かすのも大切なポイント。

そしてフレームは木製の白磨きにしてもらった。薄っすらと木目が浮き出て、アルシュ紙の紙肌や地色に馴染んでいる。白ラッカーだとフレームだけが主張してしまうし、無垢のままだと木目がうるさくなる。今回は白磨きが正解だった。

すべてのバランスのとれた清々しい額装で、期待以上の仕上がり。ほぼおまかせで預けっぱなしだったけど、大満足の額装になった。既成のインチフレームもいいけれど、一度はプロの仕事を体験するとその凄さがわかるはず。

ちなみに、もうひとつ銅版画の見所にプレートマークがある。銅版画を刷る際は高圧のプレス機にかける。ローラーを通る時に、版のエッジが当たり紙が破れたり、下敷きのフェルトを傷めたりしないように、予め版のエッジを削って傾斜をつけて慣らしておく。

傾斜がついた版をプレスすると、緩く角度が付いた四角い凹み跡がつく。写真でいうとマットの窓のような形になる。これをプレートマークと呼んでいる。刷り工程で必然的に凹むものだが、美しいプレートマークはイメージサイズの輪郭を際立たせ作品の完成度も高める効果がある。

だから、考え方の一つとして、できれば先ず版画はシートで観賞すると面白いと思う。インクが乗ったプリント面、耳、プレートマークなど、薄いけれど確かな物質感を手にとって楽しめる。それから額装しても遅くないというか。

この感覚はバライタのモノクロプリントに近いものがあるけど、さらにミクロな視点かもしれない。ついマニアックな見方になりがちだけど、写真に負けず劣らず版画も魅力的なメディアだと思っている。

写真集で話せる場所@book obscura

ひとり黙々と写真集に向き合うのも変えがたい時間だけど、写真集が好きな人と一冊の写真集をめくりながら、あれこれ読み解いていくのも楽しい。たまたま居合わせた人が興味を持って話の輪に加わるのも面白い。

写真一枚一枚に注目して、何が写っているのかを観察したり、撮影された時代、季節や時間帯について考察したりしてもいい。写真のシークエンスに目を向けて、どうしてこの組み方なんだろう、どうしてこの流れにしたのかと意見をかわすのもいい。造本、装丁について話すのもいい。感材や機材について触れてみてもいい。

また、同時代の写真集を俯瞰的に見比べたり、時系列に紐解いたりするのも楽しい。同じモチーフ ─ 例えはフリードランダーと森山大道の車窓とか ─ を見比べてみるのもいい。ロバート・フランクの「The Americans」のように、同じタイトルでも出版社が変われば編集が変わり、並びや画面サイズ、トリミングも変わることがある。「版」や「刷」が異なれば、同じ写真でも違いがあるかもしれない。

作家による製作意図やヒントが散りばめられていることもあれば、並びの妙だけで投げかけてくるものもある。深読みも厭わず、自ら問いを探して、用意されていない答えを見出す。これが楽しい。

その時その時、その人その人の経験や習熟度で答えは変わるだろうし、写真史や美術史を踏まえればまた読み方は変わり、さらに理解は深まって行く。

それができる場所のひとつに、古書店《book obscura》がある。店主の造詣の深さ、熱意、行動力、どれを取っても眼を見張る。誰よりも店主が最高に写真集が好きで、最高に楽しんでいる。こんな素敵な場所が近くにあるなんて、とても有難いことだよね。

柿崎真子 展「アオノニマス 廻」@POETIC SCAPE

楽しみにしていた柿崎さんの個展に足を運んだ。馬車道の展示以来だから約3年振り。

アオモリとアノニマスを組み合わせた造語 ── アオノニマス。とても響きのいい美しい語感で、素晴らしいタイトルだと思う。そこに毎回、漢字一文字が続く。今回は「廻」。どの写真も渾々として尽きることなく、沸々とたぎる根源的な廻りを捉えているようで、ひたすら見ていたくなる。

じっと見つめていると、青森の何処かだと知りながら、ここは一体どこなのだろうと考えつつ、やがてここがどこかは気にならなくなっていく。柿崎さんの写真の不思議な匿名性だ。

柿崎さんの写真はとても深度は深い。目の前にある土地 ─ 土壌、淡水、海水、鉱物、大気、草木 、微生物 ─ と対峙することで、青森が青森になる前の、さらにまだ地名らしい地名が付く前の、さらに人の営みが始まるずっと前の太古の生態系を想像させる。

同タイトルの写真集も良い。柿崎さんにとって初の綴じ製本。既刊の2冊はいずれもスクラム製本で綴じられていなかった。これはこれで良かったけど、やはり造本のしっかりした写真集は美しい。サイズ感といい装丁といい、写真の並びといい、どれを取っても秀逸。

裏表紙にも貼られている写真がなんとも不思議で、何かに見えて何にも見えない。まさにアノニマスな存在。さらに20〜24頁の流れは凄みがあり、この一冊の肝になるシークエンスだと思う。

クロヌマタカトシ個展「気配」@ギャラリー上り屋敷


クロヌマタカトシさんの木彫。拝見するたびに少しずつ変化している。ひとつの宗教観を宿していて、気品と美しさの中に畏怖の念を内包しているようでもあり、人間の性や業の深さ、狂気を暗示しているようでもある。

仏師の松本明慶さんがドキュメンタリー番組で「自ら仏を彫るのではなくて、すでに宿っている仏様を世に出す手伝いをするだけです」ということをおっしゃっていた。どうもその境地に近づいているような気がする。

写真家の田中大輔君がクロヌマさんのアトリエ写真を撮影していて、それも展示されていた。クロヌマさんが田中君の写真展にたまたま訪れて、感じるものがあったようで、アトリエ撮影を依頼したそうだ。どこまでも田中君の写真であったが、木彫と見事に呼応していた。

床に置けなくなったら天井がある

久しぶりに写真集の買取を依頼する。部屋が狭いのでやむなし。いろんな意味で生活に支障をきたし始めた頃合いに、泣く泣く厳選して手放している。

それでも充電池のメモリー効果のようにじわじわと棚の空きは少なくなっていく。持ち家じゃないので今後どうしたものだろうかと自問自答する日々。

今回買取を依頼した某古書店主も私物の写真集が大変なことになっているそうで、大好きなものに囲まれてホクホクしながらも、増えつづける本は悩みの種でもあるらしい。

でも同居人に「床に置けなくなったら天井があるから大丈夫」と言って慰めてくれたとか。さすがにその発想はなかった(笑)

まだ自分は床はおろか、棚の心配だけをしていればよのでずいぶんマシな方だと思えた。買いっぱなしにできる環境はうらやましくもあるが、制限がある方が工夫のしがいがある。

熊谷聖司 展|EACH LITTLE THING @POETIC SCAPE

いよいよ「EACH LITTLE THING」の#9、#10が刊行された。10巻揃えたら三方背の特製ケースがもらえる。コツコツ集めてきた人にとってはうれしい特典だ。「EACH…」の10巻と頒布小冊子「VERY LITTLE THING」を合わせた全巻が、ピシッと箱に収まる姿にほくそ笑んでしまう。

今回の展示も素晴らしい。印画紙は反射率の高いクリスタルペーパーを使っていて、これが熊谷さんの写真と相性抜群だった。印画紙のほのかにメタリックな光沢感がハイライトを活かし、ピントがシャープなのにどこか柔らかい印象を受ける。フラットな展示構成と相まって、気持ちの良い空間になっていた。写真集とはまるで違うテクスチャなので、見比べてみるのもおもしろい。

「縦位置でカラーのみ、セレクトと編集にあまり干渉しない」を続けることで、熊谷さんはすべてを等価で見たいという感覚が生まれたそうだ。イメージの縦横や大小、比率の違いなどの要素を省き、セレクトも編集も(信頼できる)他者に委ねる。できるだけ要素を少なくすることで見えてくるものとは。今回で「EACH…」は一区切りとなったけれど、フラットにものを見てみるという試みは、また違った形で続きそうだ。

それと「book obscura」で同時開催の『熊谷聖司のマルクマ本店 -写真家はどう写真集をつくるのか』 も良かった。熊谷さんがどんな写真家や文筆家に影響を受けて、何を踏んできたかが垣間見える。自筆の文章やイラスト、写真などが壁面いっぱいに貼られ、意識と無意識を混在させるようにヒントが散りばめられている。写真集づくりのプロセスも辿れ、さらに深く読み解くきっかけになるイベントだった。

橋本とし子写真集『キチムは夜に飛ぶ』刊行記念写真展 @ふげん社

ふげん社の刊行記念展に最終日の終了間際に駆け込む。

タイトルの「キチムは夜に飛ぶ」がまず気になる。娘さんの突然発した言葉から直感的に付けたタイトルだそうだ。ユニークだけれど、これがしっくりとくる。

一見、時代性があやふやで、現代を撮っているとわかっていても、大正や昭和初期の情緒を感じさせる。ぎゅっと圧縮された異空間に足を踏み入れてしまったような写真たち。どこか乱歩的で怪奇な雰囲気が漂っている。それでいて愉快。居心地の良さと悪さが同居してる。

さらに写真集の表紙が面白い。藤色の地に黒艶の箔押し文字。左上にクロッシェ帽を被る少女。踏み込んだデザインだけれど、写真の良さを引き出しているように思う。これだけ攻めていて成立させるなんて本当にすごい。Book Photo PRESSの長尾敦子さんのデザイン。

高コントラストや粒状感はご主人の影響が少なからずあるとは思うけれど、この怪しい独特な世界観と相性が良いようだ。キチム(吉夢)の不可思議な世界は大人心も子供心もくすぐってくれ、とわくわくする夢物語のようだった。