渡部敏哉 展「Somewhere not Here」@Poetic Scape

Somewhere not Here ― ここではない、どこか別の場所。まさにという展示だった。非日常を超えた非現実の世界。淡く美しいイメージの中に、不穏で不安定で、おぞましさすら感じる世界観が宿っている。「ここ」寄りなのか、「どこか」寄りなのか。何かがやってくるとか、あっち側へ誘われるとか。そんな気配を含んでいるのだ。

白と黒の配分が受ける印象を変える。個人的には黒の比率が多いのは「こちら」で、白の配分が多いのは「あちら」という印象を受けた。人によっては見立てが逆転するかもしれない。スクエアの中央にあるものが白か黒でもまた変わってくる。どちら寄りでもないイーブンな比率だと境界を彷徨うような感覚になる。

この世界観を築く上で額装も見逃せない。細身の黒フレームにマットなし、低反射アクリルのかぶせで仕上げており、「ここではない、どこか別の場所」を覗き込ませる装置になっている。

例えとして相応しいかわからないが、渡部さんの作り出すイメージは、どこか囲碁の棋譜を想起させた。高い実力を備えたプロ棋士同士が、緩着も悪手もなく互角に打ちまわし、半目差勝負を繰り広げたような美しい棋譜だ。

「Somewhere not Here」はまだはじめの一歩を踏み出したという感じ。セレクト、プリントサイズや展示方法などを変えることで大きく印象が変わる可能性がある。「Thereafter」と対極をなすシリーズとして育っていくのが楽しみな展示だった。

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今井智己「Remains to be seen」@Taka Ishii Gallery Photography / Film

こんな写真をたったひとりで、毎日毎日、じーっと見ていられたら。こんな写真を前にして誰かと、あーでもない、こーでもないと語り合えたら。もう言うことはないんじゃないだろうか。漲るような力を持つ写真ではない。突き刺さるような写真でもない。ただそこにある何かを掬い取るように写している。受ける印象は静謐とは少し違う。見ることに集中していく内に、環境音が気にならなくなるという感覚に近い。だから観賞者はただただ黙って見ていたくなる。自然と見ることに集中してしまう。

それは写真に不可欠ともいえる光の条件とプリントの質を大事にしているからだと感じた。当然かもしれないが、今井さんは何でもないものを何となくは撮っていない。大判カメラを使い、丁寧に手順を踏んで、技術で詰めて撮り、技術で詰めてプリントしている。手抜かりなく仕上げたプリントが額装され、空間に配された時に、想像を超えた深度で見る者を引き付ける写真になる。この最終段階までを考えながら、技術を伴って人に見せられるクオリティに持っていくのは難しい作業だ。それを今井さんは意識的に取り組んでいる。とても素晴らしいことだ。

今井さんの眼差しは、日常の中にある見逃しがちな何かに向けられている。はじめは感情で反応しつつも、その後は徹底して技術で詰める。今井さんの文章の中で「あとすこしでわかるという予感だけがある」という言葉を使っていた。その感覚を見事に写真にしていた。写真を見る。写真を考える。そんなことをもっともっと深めていきたい。そう思えた個展だった。

森山大道『何かへの旅』の一枚

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2013年に初めて実物を見て、その場から離れられなくなったプリントがあった。森山大道『何かへの旅』の一枚だ。自動車の中から捕えられたフロントウィンドウ越しの世界。ピントはウインドウに貼りつく雨粒あたりに。下がったワイパー、その奥にはボンネットらしきもの、その左側にフェンダーミラーが見える。雨粒は上方に流れるように歪んでいて、ワイパーの弧状の筋が薄っすらと残っている。手前のダッシュボードにあるエアコンの吹出口も判別できる。奥の景色に目をやると、雨雲が重く垂れこめ、地平線には枯れ木のような電柱が点在している。(※参照1) 続きを読む

須田二郎展「木の器」@OUTBOUND

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吉祥寺のOUTBOUNDで、須田二郎展「木の器」。穴あきの花器を拝見する。虫食いで朽ちた穴をそのまま生かして挽いている。サクラの杢と穴が蠢くように混ざり合う。とても力強い。見事に「機能と作用が共存」している。素晴らしい出会い。有難い。

写真の居場所

二年ほど前に賃貸住まいでもちゃんと部屋に写真を飾ってみたいと思い、一箇所だけ腰から上およそ150cm四方の壁をすっぽり空けて、ささやかな写真の居場所を作った。普段はその壁に1~3枚の額装した写真を飾っている。その下はDIYでこしらえた合板製の書棚を据えて、写真集とかを収納している。

購入した写真を掛けるのはもちろんのこと、自分でプリントした写真を飾ることもある。手元にあるプリントは、ある意味分け隔てなく扱う。プリントした写真は大事にした方がいい。個人的に開催したグループ展や個展用でも、終わるとそのまま保存箱に入れっぱなしになってしまいがち。日常的に飾ることで日の目を見せてあげることも大切だと思う。

これまでは少ない枚数に抑えて一枚一枚じっくり見ることを考えていたけど、最近ふと思い立って、複数枚を組み合わせて群れで飾ってみることにした。欧州風のアンサンブルスタイルの真似事だ。手前みそながらなかなか見ごたえがあるレイアウトになった気がする。集合、俯瞰で見ると、自分の趣味趣向が露になって恥ずかしさもあるが、モノクロやカラー、フィルムやデジタル、いろいろ混ざりながらも、やはり共通点が多いコレクションなんだなと再確認できる。

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腰の高さまでで収納を完結させると部屋が広く見えるというのは確かで、狭い賃貸住まいでも意外といけるもんだなと日々実感している。といっても、センスのいいインテリアコーディネートとか、おしゃれなライフスタイルとかを目指していないし、なまじっか目指してもうまくやれる自信がない。だから他の場所は思いっきり生活感丸出しのまま。これはこれでよいかなと思っている。なによりも自宅の中に写真の居場所があり、写真と向き合う場所がある。そこが大切なことなのだ。

book obscura@吉祥寺(井の頭)

吉祥寺の井の頭恩賜公園にほど近い、オープンしたての古書・新刊書店「book obscura」に行ってきた。写真集を中心にリトルプレスなどを扱っている。吉祥寺からも歩いて行けて、井の頭公園を抜けるようにして散策しながらゆったりとした気分で立ち寄れる。店内も落ち着いた雰囲気で、居心地が良い。それほど広いスペースではないものの、ほとんどの本を腰から下のスペースに収めているので、目線がすっきりしていて抜けのいい空間になっている。

店主の主観を交えた本の紹介の仕方がうれしい。「1ページ、1ページ、ゆっくり見てください」とさりげなく促したり、ページを開いて平置きしたりとか、ちょっとしたことだけど、気が利いている。まずは開いて中を見てもらう。そこから写真集の魅力を伝えようとしている。ここの店主、写真集がほんと好きなんだろうなあってすぐわかる。

展示スペースもあり、竹之内祐幸「The Forth Wall」が開催されていた。フォトアクリル額装の瑞々しいイメージが、店内に差し込む自然光と相まって美しさが際立っていた。第四の壁というタイトルも写真の印象と合っている。同時開催のPGIも見てみたくなった。

私がお店に入って間もなく、通りかかった親子が入ってきた。お母さんと幼稚園の年長さんくらいの男の子。きっと井の頭公園の帰りだろう。タタッ、タタッと男の子が店内を二、三周する。きょろきょろ見わたすうち、竹之内さんの展示に興味を持ったようだ。お母さんも付いて行き、一緒にあれこれ見ている。やがてDMと写真集を見比べながら、男の子が「あっ、同じ!」と写真を交互に指差す。お母さんも「ほんと同じだね」と続けた。

実は自宅から自転車で行ける距離にある。写真を楽しめる新たな場所。ちょくちょくのぞきに行くことになりそうだ。

濱野絵美「不確かさの記録」@Open Letter Galery(アーツ千代田3331)

少しさかのぼって、9月に銅版画家の濱野絵美さんの個展に伺った。今のところ、銅版画作品を所有している唯一の作家さんだ。場所は「Open Letter」という土日限定オープンのギャラリーで、今年の5月に渋谷から末広町駅の3331アーツ千代田に場所を移していた。2年前の初個展も同ギャラリーのこけら落としだった。ちょうど版画にも興味が向いていた頃で、タイミングよく濱野さんの作品を見ることができた。まったくの初めてではあったものの、見れば見るほど興味がわき、気に入った一枚を求めた。それから2年が経ち、2度目の個展でどのようになっているのか楽しみにしていた。

濱野さんの銅版画はエッチング技法で製作されている。青インクを基調色として用い、線の集積によるストイックな幾何学的模様が特徴だ。その執念ともいえる作業とは裏腹に、アルシュ紙に定着した青い線分はどこまでも目に優しく届いてくる。ずっと飽きることなく見ていられる作品だ。

今回の新作は線による幾何学模様をさらに掘り下げながら、大型作品に取り組んだり、新たな形態にも挑戦したりしていた。平面的な模様から、より立体的な形に再構築したイメージが含まれていて、まるで三次元座標上で線分が踊っているようなイメージもあった。

藝大を卒業後、社会人として製作と仕事の両立に葛藤しながらも、製作環境を整えつつ、限られた時間で新たな作品に取り組み始めている。作家活動を続けるうえで、誰しもが一度ならず何度も通る道だろう。それでも濱野さんはなんとか踏ん張って地道に活動を続けていくと思っている。そんな期待を込めて、今回も購入を決めた。

版画の世界も奥深く、写真とはまた違った魅力を持った表現方法だ。それでいて意外なほど技法的なプロセスが写真のそれとよく似ている。作品と作家の間に機械や道具が介在するという意味でも共通するし、写真好き、もっと言えばプリント好きならば版画も面白味を感じてもらえると思う。密かに、あと5年以内に版画技法ないし版画作品が再評価されて、ファインアートの表舞台に出てくるのではと見込んでいるのだ。

[記録集]はな子のいる風景 イメージを(ひっ)くりかえす

今年のベストかもしれない。写真研究者の小林美香さんがおすすめしていた一冊だ。あれよあれよという間に完売しそうになっていたので、先日、閉館間際のミュージアムショップに駆け込んで購入してきた。

本書は武蔵野市吉祥寺美術館の企画展『コンサベーション_ピース:ここからむこうへ』に併せて発刊された記録集となる。あいにく展示は見ていないのだけれど、この記録集を手にしただけでも、企画展の力の入れようが窺える。

私は、はな子を直接見に行ったかとがない。テレビ越しにたまに見かけた程度だった。だからあまり大したことは言えないんだけども、はな子の存在した69年間といえば、ほぼ自分の親世代に等しい。旅行や行楽地へ行けば当たり前のようにフィルムカメラで記念写真を撮り、同時プリントに出しては、できあがった写真は次から次へとアルバムに貼り付けた。紙の写真を残す記念写真の全盛期を含む時代だ。

『[記録集]はな子のいる風景 イメージを(ひっ)くりかえす』は、記録としての写真、記念としての写真、記憶としての写真、それぞれの意味を巧みに引き出しながら構成されている。言葉で説明するより実際に見てもらうのが一番なんだろうけど、おそらく完売間近でこれから購入するのは難しいかもしれない。それでも機会があればぜひ見てもらいたい一冊だ。

見る人

三人展、本日無事に終わりました。皆さまありがとうございました。

会期を通じて実感したのは、私はどこまでも「見る人」なんだなあということです。でも、ただ観賞するだけの視点では気づかないことも多い。他の立場として展示を経験したいというのが大きな動機になっています。「見る」ために他のこともするということです。

もし、「あなたにとって、写真で最後に残るものは?」と問われたら? メンバーのひとりが最後に残るのは「撮る」ことだと言っていました。私は迷わず「見る」ことだと答えます。この違いが面白いんです。

プロ・アマにかかわらず、写真家と名乗る名乗らないにかかわらず、立場にかかわらず、写真が好きな人たちにとって、最後に残るものがなんなのか、考えてみるのも面白いかもしれません。

誰かは「プリントする」ことだったり、「笑う」ことだったり、「買う」ことだったり、「売る」ことだったりするかもしれません。それが感情だったり、「こと」だったり、「もの」だったりするかもしれません。すべてはそれから始まる、そういう原点を持つことは、とても豊かなことだと思います。

これからまた「見る人」に戻ります。改めまして、ご来場いただき本当にありがとうございました。