森山大道写真展「Ango」@POETIC SCAPE

森山大道「Ango」をやっと見に行けた。ぞくっとしてうっとりする絶品の展示だった。漆黒の桜、濡羽色の黒髪が目に飛び込み、ぐるぐると頭の中を駆けめぐる。坂口安吾の「桜の森の満開の下」と森山大道の「桜」が怪しく交配し、妖艶な新種の花を見事に咲かせていた。

「桜の森の満開の下」は坂口安吾の代表作であり傑作とされている怪奇短編小説。読んだでみたら、これがなかなか残虐で寒気のする話だった。それでもやめられずあやかしの物語の中へずぶずぶと引き摺り込まれてしまった。

「桜の森の満開の下」は冒頭の一部にこんな件がある。

近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが 、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので 、能にも 、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう (このところ小生の蛇足 )という話もあり 、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです 。

《青空文庫より抜粋》

桜が怖ろしいという感覚は自分にはなかった。言われてみれば誰もいない夜桜を見ると、儚さや切なさを感じることはある。でも、怖ろしいとまでは思ったことがない。桜は春の訪れを告げる季節の風物詩で、愛でるものであり楽しむものとして刷り込まれているのは確か。そもそもの江戸期以前の花見文化、桜の捉え方が気になる。手がかりになる本でも探してみようかな。

町口さんの新作本がまた凄い。きらきらと虹色輝く黒い本。はじめ表紙は黒地に箔押しかなと思ってたら、「これ、ホログラム箔に黒インクを重ねてるんですよ。箔が透けなくなるまで何回か刷ってるんです」と説明を聞いて腰を抜かす。ホログラムの上からスミ重ねるって凄い発想。丸背も滑らかで美しい。本文の白文字は黒紙に白インクじゃなくて、白い紙にスミベタの地で白抜き文字だろうか、小口が白いから。いつもの筑紫オールドが効いてて、さすがの◯態的造本。森山大道と町口覚。このコンビは最高だ。

コヨーテ最新号の「森山大道 写真のすべて」もゲット。こらからじっくり読むつもり。古本で買った1号の「特集 森山大道 ── その路地を右へ」との読み比べも面白そうだ。

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泉大悟写真展「UNDERCURRENT(2018)」@銀座月光荘・画室3

毎度楽しみな泉さんの写真展。月光荘の画室3のスペースはほど良い狭さで、泉さんの写真のサイズによく合っている。回を重ねるごとに、多重層の画面構成が堂に入ってきている。繊細なモノクロの階調と相まって、泉さんならではの写真へと醸成されているのがわかる。

写真を一目見ただけで、誰々の写真だと分かるというのは、写真家にとってスタイルを持っているという意味で大切な要素ではないだろうか。泉さんも継続することでスタイルを獲得しつつある。

写真はロバート・アダムスのようにじわじわくる系かなとも思ったけど、どちらかといえばクーデルカとかケルテスとか、きりっとした画面構成に近い気がする。加えておぼろげなレイヤーを含んでいるので、力みがなく穏やか。コンパクト画面に、ユニークな構図が面白い。

気になったのは壁を写したシンプルな構図の写真。見ているとクーデルカのジプシーズを彷彿とさせた。もっともっと引きで撮影していたら、あの下を向く白い馬が現れてきそうだ。え、何? どこ? ここ? っていう距離感も泉さんらしい。コツコツ丹念に継続されている泉さんの写真は、ずっと見ていきたい写真の一つだ。

[写真集]奥山淳志「弁造 Benzo」

北海道で自給自足の生活を送った井上弁造さんの20年の記録。身内ではない他者と向き合うというのは、写真家としてのひとつのアプローチだとは思うんだけど、それが20年となるとね、半端ではない。その集大成がこの一冊だ。

2012年に弁造さんは他界されたが、その後も奥山さんは撮影を続けている。かつて弁造さんの家があった庭や無数に描かれたエスキースなどの遺品を折に触れて撮りためている。

銀座ニコンサロンで開催されていた個展「庭とエスキース」では、弁造さん亡き後の写真も多く展示されていた。展示構成はタイトルの通り「庭」と「エスキース」を2枚1組で並べられていた。奥山さん自身が、今までにない選び方と組み方をしたら、どのような弁造さんが立ち現れるのか模索しているようだった。1時間ほどかけて何度も見た。素晴らしい展示だった。

写真集にはCプリントが付いてくる。いわゆるスペシャルエディションになっていて、通常版の設定がない。かなり珍しい試みだ。購入者が好きなカットを選べるようになっていて、選んだ一枚を奥山さんにお伝えすれば自ら焼いてくれる。はじめは直感的にすぐ選べる気がしていた。それが甘い考えだったとすぐにわかる。写真集が届いてから2ヶ月ほど経っても、まだ1枚を選び出せずにいる。

シンプルに絵的な好みとかで選べば良いものを、弁造さんと奥山さんのことをを考えているうちに、ついつい深読みしてしまうのだ。写真集を買ってすぐなのに、弁造さんに会ったこともないのに、奥山さんとは銀座ニコンサロンで初めましてだったのに、あれこれ想像してしまって、写真を選ぶところまで気持ちが行かない。

奥山さんは常日頃から弁造さんのことを考え、写真を撮り、また考え、また写真を撮る、を繰り返してきた。それが今なお継続している。奥山さんは、弁造さんを通して、写真を通して、人の在り方をずっと考えている。私も倣うように考えてみたくなる。それだけの力、魅力がこの写真集には備わっていると思う。

「期限はありませんから」という一言に甘えて、もう少しだけ考えてから1枚を選びたい。

参考リンク:奥山淳志写真集「弁造 Benzo」について

鴻池朋子「Little fur anger」@ Gallery KIDO Press(3331 Arts Chiyoda)

3331アーツ千代田内にある「ギャラリーキドプレス」で鴻池朋子さんの版画を拝見した。鴻池さんの作品を見るのは初めてだった。キドプレスは半分が工房で、半分が展示スペースになってる。とてもコンパクトなギャラリーだ。今年で15周年ということらしい。以前は清澄白河にあって、2015年に末広町に移転している。

今展ではカービングという版木作品とドライポイント技法の銅版画の二種類を展示していた。版画を発表するのは初めてとのこと。木版用の版木をそのまま作品にしているダイナミックなカービング作品も素敵だったけど、気になったのはドライポイントの方だった。朝日新聞朝刊の朝日歌壇俳壇という連載の挿絵「どうぶつのことば」の中からご本人が選出したもの。連載を引き受けた時は鉛筆のドローイングにするつもりだったが、新聞の挿絵としてあまりにもつまらなく見えて、同じ「刷る」ものの方がしっくりきそうだと銅版画にしたそうだ。

モチーフは蜂やウサギ、毛虫などの昆虫や動物だ。ドライポイントならではの滲んだ線描写と、黒と青のインクを用いた2回刷りによるわずかなズレを活かすことで、ふわりとした産毛の質感を表現している。じーっと見つめていると本当に毛が揺らいでくるようだ。薄っすらと青味がかったトーンも美しい。

中でも「横たわる獣」はお気に入り。何かの幼獣と思しき姿は、毛むくじゃらで、ちょろりと尻尾を生やし、仰向けに身体を縮こませ、やや上目づかいでこちらを見ている。野生の険しさを漂わせながらどこか愛嬌がある。他が実在の動物や昆虫をモチーフにしてるのに、これだけ「獣」って、ざっくりしてるのも面白い。挿絵の中には、他にも不特定な生き物は登場してたのかちょっと気になる。

別件が終わった後に寄っただけだったけれど、良いギャラリー、良い展示が見られた。これを機に今後の企画展も見てみたいし、鴻池さんの作品についてももっと知りたくなった。

野村恵子 展|OKINAWA @POETIC SCAPE

楽しみにしていた野村恵子さんの個展を見てきた。同ギャラリーでは5年ぶりだそうで、そんなに間が空いていたんだと改めて思う。前回の展示は思い出深く、思い入れも強い。というのも、コレクションしているプリントの中でも最初期の1枚が、前回の『野村恵子 展【Soul Blue -蒼の彼方へ-】(2013年)』のプリントだからだ。私のルーツの一つである五島列島の写真で、初見でとても気になり、2度目に訪れた際に意を決して購入した。とても大切なプリントとなっている。

今回の個展は、ポルトガルの出版社『Pierre von Kleist editions』から昨年に出版された写真集「OKINAWA」から、新作を加えて展示をしている。2014年の銀座ニコンサロンの『赤い水』で見たイメージもあった。やはりこの濃密で濃厚な写真はクセになる。野村さんの写真には、自分の中にはない「濃さ」があり「強さ」がある。だからこそ無性に気になり魅せられてしまう。

どれをとっても野村恵子さんらしい濃さと強さを持った写真ばかりなのだが、その中でも「水面に浮かぶ女性」「焼かれる山羊」「腕にタトゥを刻んだ女性」「屋上の洗濯物」が気になった。特に「屋上の洗濯物」は銀座ニコンサロンでも見ていて、強烈に印象に残っている。たしか野村さん本人に、「どれか気になるのある?」みたいことを聞かれて、真っ先に選んだのがこの写真だった。またこれが壁にかかっていてとてもうれしかった。

それに加えて、今回は天野太郎さんとのクロストークがあり、とても楽しみにしていた。つい先日まで横浜市民ギャラリーあざみ野で開催されていた写真展『金川晋吾「長い間」』のキュレーションを手掛けられ、見事な展示構成を目の当たりにしていたこともあり、お名前は聞き及んでいたが、実際にはどんな方なのだろうと興味津々だったのだ。

さてそのトークはもう抱腹絶倒、爆笑必至の無双トークだった。詳細はいろんな意味で割愛せざるを得ないが、あえて一言で表現するならば「愛ある叱咤激励」とでもいうべき内容だった。天野さんも野村さんも関西弁全開でもはや漫談。天野さんの確かな経験と知識に裏打ちされたお話は、核心を突きまくり頷くことしきり。いつまででも聴いていられる面白さで、「ああ、写真と出会っててよかった」と思えるひと時だった。

野村さんが母方のルーツである沖縄を撮って20年。特有の時代背景を引き受けつつも、あくまで私的な目線で沖縄を追い続け、粘り強く、力強く、濃密にとらえ続けている。他のどの沖縄写真とも違う、野村恵子さんならではの沖縄写真は着実に強度を高めている。また長野のシリーズが継続中で、期待は膨らみ楽しみは尽きない。

なんにせよ、この人なら何があっても写真は続けるだろうと確信を持てる写真家の一人だ。だからこそ、写真家の野村恵子のコレクター、その末席にいられるだけでも、とても誇らしい気持ちにさせてくれるのだ。

金川晋吾「長い間」@ 横浜市民ギャラリーあざみ野・展示室1

最終日。初めて金川晋吾さんの写真を見ることができた。とにかく見に行けてよかった。写真にもテキストにも映像にも吸い寄せられた。父と、その父の姉である伯母の失踪。どう向き合い、どう受け入れ、どう取り組み、どう写真で表そうと、露にしようとしているのか。生まれてきた境遇、社会的な立場、親子や親類という関係など、生きていく中での役割が破綻した時に、人は何を思い、何を考え、どう行動するのか。息子である写真家も、被写体である父も、そして伯母も、何ら答えを持っていない。身内の稀有な状況を晒し、人と人の関係性を問い続ける金川さんの写真家としての姿勢は興味深い。

継続中の二つのシリーズは、道半ばで、未知なまま。理解するための導線も用意されているようで用意されていない。自分の中ではまだはっきりとした言葉が浮かんでこないけれど、しばらく写真集をめくりながら、写真とテキストを頭ん中で反芻させてみようと思う。

あと今回の展示構成が秀逸。前半の父のシリーズは、縦3列に互い違いに壁が設置され、ひとつの壁に大きな写真が1枚ずつ。ゆらゆらと木の葉を落とすように右に左に視線を誘導して、とても滑らかに観覧できる。壁と壁の間から他の写真が何気なく見切れるのもおもしろい。会場の中間地には、父の自撮り写真のスライドショーを挟みテンポを変える。それから後半の伯母のシリーズは、打って変わって広い部屋に小さな写真が広い間隔で並んでいて、時計回りに自然な導線になっている。大きめのスペースでこれほど滑らかで無理のない導線はあまり体験したことがない。この構成力、唸りました。

版画の景色 現代版画センターの軌跡(前期) @埼玉県立近代美術館

昨年末から楽しみにしていた企画展。期待に違わぬ質と量で見応え十分だった。

「現代版画センター」は1974年の創立から1985年に倒産するまで、版画芸術の普及とコレクター育成という明確な構想で活動していた。版画作品の「版元」として奔走し振興に努めたという。10年余りという活動期間を短いと取るか長いと取るかは人それぞれかもしれないが、国内における現代版画の黎明期を支えていたことは間違いない。今その活動は画廊「ときの忘れもの」に引き継がれている。

版画というメディアに興味を持ってから、写真界の周辺で版画が見え隠れするようになった。興味を持てばアンテナが張られて、今まで目に留まらなかったものが目に入るようになり、自ずと情報が集まってくるのは道理ではある。でもこれほどの巡り合せは、版画との不思議な縁を感じてしまう。まあ、勝手にだけどね。

版画初心者にとっては、ほぼ未知の作家ばかり。知っているなという名前は、アンディ・ウォーホル、安藤忠雄、磯崎新、一原有徳、瑛九、草間彌生、駒井哲郎、関根伸夫、舟越保武くらい。それもまともに作品を見たことがないものが多くて、どれもこれも新鮮。それに一点一点がユニークな主題で飽きることがなく、大満足の企画展だった。気づけば1時間半ほどかけて鑑賞していた。

木版、銅版画、シルクスクリーンなど技法による描写の違いや、コットンペーパー、和紙、布地、金属などの支持体の違いも楽しめる。版画は写真よりも支持体のテクスチャーを楽しむメディアかもしれない。ミクロな視点も版画の醍醐味と言える。写真も版画も「プリント」という括りでは共通点が多く、写真好きも意外なほど楽しめると思う。

また図録がかっこよくて即買いした。タトウ箱入りの分冊という凝った作りだ。それと『版画、「あいだ」の美術』という本もゲット。これも楽しみだ。

一部展示の入れ替えがあり、トークイベントがあるようなので、時間を作って後期も足を運びたい。

川田喜久治 ロス・カプリチョス –インスタグラフィ– 2017 @PGI(赤羽橋)

VIVOメンバーの中でも個人的に特別な存在になっているのが、川田喜久治さんだ。東京国立近代美術館のプリントスタディでラストコスモロジーの収蔵品45点を閲覧してからというもの、すっかり川田ワールドに魅せられてしまった。素人がたった一人でプリントスタディを申し込むなんていう研究員が呆れる暴挙はもうできないかもしれないけれど、怖いもの知らずで臨めたことは後悔していない。とても貴重な時間であり財産になっている。

今回の個展はゴヤの「ロス・カプリチョス」という風刺の効いた銅版画集にインスピレーションを得て撮影したシリーズになる。1972年から雑誌で散発に発表され、1986年にフォト・ギャラリー・インターナショナル(現PGI)で個展開催。その後「世界劇場」という写真集(超レア!)に収録されているだけだった。それを今回は2016~2017年に撮影した新作を交えて再構成したものだ。のっけから目が釘付け。相変わらずの攻めの感じがたまらない。

川田さんの持ち味の一つは、シリーズを常にアップデートしていく姿勢だろう。懐古的にならず、シリーズを完結させることよりも、新たなシリーズを生み出すこと、かつてのシリーズも機会があれば新作を追加して進化させることができるのだ。それもこれも時代性や一つのイメージに執着せずに、常に社会や人に絡みつく危機的な予感や、カタルシスを柱にしながら、暗喩としての写真を提示し続けているからだと思う。だから写真に賞味期限が訪れない。きわめて根源的で普遍的なイメージを繰り出してくるのが川田喜久治という写真家なのだ。

川田さんの写真に込めるメタファーはとても鋭くて強い。非常に強い信念を持ち、写真との向き合い方に無駄がないというか、雑念を持ち込まないというか、そういう潔さがある。トークショーや文章でもとても端的に的確な言葉を選んでいる。これほど聡明で直観力に優れ、強度が高くて、しかもかっこいい写真を突きつけられる写真家が他に何人いるだろう。川田喜久治の写真を前にしたら、頭でっかちなコンセプトや、つまらない屁理屈、独りよがりな正論など木っ端みじんだ。年齢は関係ないとは思うが、今年の元日で85歳となった。写真の強さとは何なのか。それをじっくり考えるには、川田喜久治の新作ほどうってつけなものはないんじゃないだろうか。

Sylvia Bataille / AUTOROUTE @POST

Sylvia Bataille / substances toxiques © Sylvia BatailleSylvia Bataille / substances toxiques © Sylvia Bataille

恵比寿のPOSTでシルビア・バタイユの銅版画展。フランス生まれの作家で、銅版画のほか、写真やイラストレーションも手がけているようだ。見る前はぜんぜん予備知識はなかったけど、これがカッコいいのなんのって。完全にやられました。展示作品以外もシートで見せていただいて、時間の許す限り堪能してきた。

タイトル「AUTOROUTE」の通り、フランスの高速道路「オートルート」を走行しながら、車窓越しに並走する車を捉えたシリーズになる。まず写真を撮ってから、それをトレースして銅版画を製作している。メゾチントという凹版技法を用いた繊細な階調がとても美しいプリントだ。写真のようなグラデーションを表現するために、版を仕上げるだけで半年から一年もかけるそうだ。

ただ写実的とは言い難く、どこまでも「写真的」な描写だった。多色刷りのカラー作品と単色のモノクロ作品があり、どちらもとろけるような淡さがある。写真らしい要素は残してはいるが、自己の心象をより強調するように間引かれディフォルメされている。とても写真的でありながら、版画らしい線描写が際立つ。版画でこういう描写ができるものなのかと率直に思った。

高速道路の疾走感というより、パラレルワールドを覗いているような浮遊感がある。しかも視点が面白く、車全体ではなくて、テールランプの光跡や回転するタイヤに意識が向いている。特にホイールを注視しているようだ。ホイールが高速回転している様を写真を基に再現しながら、フェティッシュに「暴れ」させ「弾け」させている。スローな躍動感とでも言えるだろうか。見ていると時間軸やスピード感がずれてくるので、異なる次元を見せられている感覚になる。やはりパラレル。

プリントのイメージ部分に雁皮紙を貼り「紗」をかけたものもあった。膠か何かで貼り付けているのだろうか。ともかく雁皮の効果で写真のソフトフィルターをかけたような仕上がりになっていた。雁皮紙越しのイメージはより淡くより浮遊感を増す。それに雁皮の地の色が青みや赤みがあるものもあり、同じものでもまるで異なる印象になっていた。地の色は雁皮の種類によるものなのか、紙を薄く染めたのか、イメージに直接着色したのかはわからない。いろいろと効果を試しているのかもしれない。

もともと写真をやっていて、より自分の頭の中のイメージに合うものとしてメゾチント技法の銅版画に行き着いたらしい。心象風景なんて手垢がついた言葉かもしれないが、写真ではない何かを掴みたいという意思は伝わってくる。彼女の記憶の中の「オートルート」を再現した形なのだろう。写真の良さを残しつつ、版画として独自の描写を成立させている。写真と版画の狭間、もしくは二者の接点のような作品だ。これまで見てきたどれでもないものという感じ。

だだ、シルビア・バタイユと検索しても往年のフランス人女優がヒットするだけで、作家のそれらしい情報はあまり見つからない。ポートフォリオサイトもないようだ。近年、いくつかの受賞歴もあり、所属ギャラリーもあるようなので、フランスでは着実にキャリアを積んできているのだろう。

日本初個展で、まだまだ未知の作家ではあるが、このプリントは一見の価値がある。版画に興味がなくても、見ておいて損はない。ほんとにかっこいいから。

尾仲浩二「Slow Boat」@Poetic Scape

尾仲さんのモノクロプリントをじっくり味わえた。「街道」以外でまとまった展示は久しぶりだ。というか考えてみると、むしろ「街道」でしか尾仲さんの個展を見たことがなかったかもしれない。

今回は中国の出版社「imageless studio」による復刻版「Slow Boat」出版記念。同作のリプリント約40点を前期と後期に分けて展示している。カラーに移行して久しい尾仲さんのモノクロプリントを見られる貴重な機会だ。新作ではないとはいえ、あの「Slow Boat」を改めて焼き直しているので必見の展示だと思う。

それにしても尾仲浩二の旅写真は見れば見るほどアノニマスで時代性を超えた写真に見えてしまう。それはカラーでもモノクロでもそう。何でだろうか。どの時代、どの土地を撮っていても、それらに引きずられずに唯一無二の尾仲写真になっている。まあ、それでも看板や人や街並みを見れば否が応でも時代は写っているんだろうけど、それが問題ではないというか。だって、20年前の「Slow Boat」を今見ても、昔はこうだったよねっていうより、ああまだこんな場所あるよねって言いそうなんだよ。もちろんもう無い景色もある。そうなんだけど、どちらかというと、「時代と共に失われた風景」とかではなくて、なんだかんだで、「ずっとありそうな場所」「残ってそうな景色」っていうのが写ってる気がする。それが尾仲写真の魅力なのかなって。

それと今展の目玉と言えるイベントは、あの蒼穹舎の太田通貴さんとのトーク。公の場で話をすることがきわめて少ない太田さんの超貴重なトークとあって、プレスリリース前にほぼ満席。間に合わなかった方はそれこそ臍を嚙んだことだろう。恐縮ですが、私はなんとか予約して、ありがたくも拝聴できました。や、最高でしたよ、ほんと。太田さんだけでも貴重なのに、内容がまたスーパーレアだった。お互いの記憶違いのツッコミ合いも爆笑だったけど、当事者しか知らない写真史的な話も驚きの連続だった。太田さんと尾仲さんの写真集製作の秘話や、セレクト方法の違いとか。具体的にはここでは割愛しますが、酸いも甘いも嚙み分けた写真界にはなくてはならないお二人の濃密トークでした。音声の再放送だけでもお金取れるレベルだね。あと尾仲さん持参の街道の歴史を物語るDMアーカイブが素晴らしかった。これだけで飯三杯いける感じ。

かく言うわたくしはトーク後の歓談で「浦霞」をグラス3杯ひっかけてベロベロで帰りましたとさ。