川田喜久治「百幻影 ─ 100 Illusions」@キヤノンギャラリーS

楽しみで仕方なかったのに、いろいろ週末に予定が詰まっていたり、体調を崩したりで、行けなくて、結局最終日になんとか見に行けた。

今回の「百幻影」は「ラスト・コスモロジー」と「ロス・カプリチョス」を巧みに再編した展示になっていた。いくつかのブロックに分かれた展示構成、PGI謹製のプレーンな額装、ハーネミューレが醸し出すほのかな光沢感。抑えめで、控えめな演出だからこそ、イメージの強度が純粋に伝わってくる。圧巻の個展だった。ほんと滑り込めてよかった。

写真にも言葉にも確固たるものを持ちながら、写真にも言葉にも縛られず翻弄されず、メタファーの世界を自由自在に闊歩し、変幻自在に飛びまわる様は、常に変化と挑戦を続けている川田さんならでは。畏敬を抱かずにはいられない。

そういえば最近、川田さんがInstagram(@kikuji_kawada)を始められた。これがまたすごくて、連日アグレッシブな投稿をされている。ほんとヤバイ(笑) 速攻でフォローしてしばらくしたら、自分の投稿にいいねをつけてくれたことがあった。うれしさと驚きで地に足がつかなくなってしまった。

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毎朝、「MASAHISA FUKAE」を一章ずつ読む

朝起きて、身支度をすませて、出勤前に一章ずつ読んでいる。また次の日に、朝起きて次の章を読んでいる。このペースがとても良いように思えて、一気読みしたり、空いた時間に読んだりしていない。そんなルーティンを数日繰り返しながら、深瀬昌久という写真家を少しずつ探求させてもらっている。

この分厚くて重たい書物を上梓するまでに、どれほど犠牲を払ってきたのだろうか。どれほど辛酸を舐めてきたのだろうか。どれほど煮え湯を飲まされてきたのだろうか。どれほど孤独と向き合ってきたのだろうか。私には想像を絶する。

トモ・コスガさんには感謝しかない。

9月28日の戸田昌子さんとのトークイベントが楽しみでならない。

津田洋甫展 – 初期作品 1950 – 60年代 @MEM

久しぶりにMEM。戦後の浪華写真倶楽部の復興に尽力したという津田洋甫の写真を初めて見ることができた。ほとんど世に紹介されていなかった50年代から60年代のヴィンテージプリント。日本の新興写真、主観主義写真として位置付けられる作風で、一枚一枚が力強く、実験的な写真ばかりだった。とにかくすっごくかっこよかった。

ギャラリーで少し話しを伺ったら、浪華写真倶楽部は1904年(明治37年)に結成し、現在もメンバーを変えながら活動が続いている国内最古のアマチュア写真クラブだとか。活動期間は結成から現在までで優に100年を超える。ピクトリアリスムからストレートフォトグラフィ、シュルレアリスムなどの文脈に影響を受けながらも日本独自の新興写真を追求した中心的なグループだった。

1904年は日露戦争が始まった年。ブレッソンが生まれる4年前、スティーグリッツが「ギャラリー291」を立ちあげる1年前。安井仲治はまだ1歳で、植田正治や桑原甲子雄が生まれるのはこの10年後。そう考えるだけでも、浪華写真倶楽部の歴史を実感できる。

関西のアマチュア写真クラブは独自の発展を遂げていて、長い歴史もあり、会員は高い矜恃を持って活動している。関東のアマチュアクラブとは文化も気質も違うところが多いので、そうと知らずに関西の写真クラブを迂闊に語ると痛い目にあうと聞いたことがある。何事にも敬意を持つことが大切だ。

津田洋甫は66年以降は作風を大きく変え、日本の自然をテーマに撮影をしており、今回の初期作品は戦後の新興写真の流れを色濃く残す貴重なプリントだと思う。MEMは埋もれてしまった作家や作品を掘り起こして、再評価をしてゆく取り組みも魅力で、未見の作家と出会える絶好の空間になっている。

星野寿一写真展「こうみょう《光明》~ NOVA 〜」 @ギャラリー冬青

ずっと待ち望んでいた星野さんの初個展に伺った。湿版写真に取り組み始めてからというもの、親子ほど年の離れた後輩である私が、顔を合わせるたびに「星野さん、そろそろ個展やりましょう!」とけしかけていた。半分本気で半分挨拶がわり。いや、日が経つにつれて8:2で本気になっていた。それくらい星野さんの湿版の石仏は圧倒的で、個展という形で早く見てみたいと熱望していた。それが貸ギャラリーではなく、コマーシャルの冬青で個展が決まったと知ったときは本当にうれしかった。私がけしかけたことなどまったく関係なく、星野さんの湿板を冬青の高橋社長が見初めたからに他ならない。

同期として参加させていただいたWSの卒展やOB展、はたまた歴戦の兵から意欲溢れる若手までがごった煮で集う「東京8×10」などで折にふれて石仏の写真は拝見してきた。とりわけ湿板写真になってからというもの、石仏の存在感がより一層際立つようになっていた。被写体と技法が見事に一致していると思えた。

湿版写真の魅力は滑らかな諧調と独特の立体感で、肉眼で捉える以上のリアリティが立ち現れる。湿板はかなりの労力と根気と財力が必要な技法でもあるので、実際に技術を学び習得しながら作品にまで昇華させるには途方もない時間と費用がかかったはずだ。意欲と熱意に溢れる姿は本当にすごい。奥様と共に本当に尊敬している。

久しぶりに訪れた冬青の室内で、一点ずつ時間をかけて観賞させていただいた。その中で何度も何度も観てしまう一枚があった。どこか仏様が手を合わせているようにも見える水芭蕉だった。エディションが進む前にと思い意を決して購入を決めた。

赤々舎で「MASAHISA FUKASE」を予約する

ほぼ「鴉」でしか知り得なかった深瀬昌久の40年間の集大成。「深瀬昌久アーカイブス」の創設者兼ディレクターであるトモ・コスガ氏の人生をかけ心血を注いだ仕事だと拝察する。おそらく今後の写真史で最も重要な書物のひとつになるだろう。そんな大げさな、と思う勿れ。それほどの期待感はあるし、価値があると思う。

全く個人的な話なのだけど、私がとてもお世話になったというか、救ってくれたというか、拾ってもらったというか、つまり返しきれない恩を受けた方が、深瀬氏と面影が似ていて、初めてセルフポートレートを見た時にとても驚いたことを覚えている。しかも生き様もどこか重なるところがあり、勝手に妙な因縁を感じている。

深瀬昌久という写真家と向き合うことが、私の恩人と向き合うことになりそうで、そこはかとない畏れを感じつつも、楽しみにしている自分がいる。

市川孝典 個展 「street cred by QUIET NOISE」と「Hello, stranger! by POST」

市川孝典さんの展示はナディフでの線香画以来だった。大きく手法を変えながらも、おぼろげな記憶の中のイメージを定着させるというのは一貫していた。

今回は「時間と記憶のズレ」をテーマにした美しくもユニークな展示で、恵比寿のPOSTと池ノ上の QUIET NOISE(以下QN)共に素晴らしい作品だった。

SNSというモチーフで流行性や時代性を持った作品でありながら、これほど見ても見ても見飽きない、これから先、ずっと見続けてもきっと飽きないだろうと確信めいたものを感じる作品は珍しい。

鑑賞距離の変化でもガラリと印象が変わる。特にQNの小作品では距離による変化が顕著で、2、3歩前後するだけでも発見の連続だった。

何気なく目で追っているSNSのタイムライン。画像の読込み中に現れる円形のローディングアイコン。その背後には読み込みが完了する前のぼやけた画もしくは白背景。パッと実像が現れるまでのちっとしたもどかしさ。

すでに読込み済の画像ならば、一瞥で流してしまったかもしれない画像も、読込み中だと期待値が少しだけ高くなる。ほとんどの画像は見えてしまった時に、期待したほどではなかった何でもなさが残る。

日常で何度となく目にする一瞬の不完全さへのささやかな期待感。そこには投稿者の意図や思惑が入り込むこと無く、見る側の記憶や想い出が重なって、脳内で自分寄りの画像に置き換わる。

そんなSNS上での一秒あるかないかの瞬間をとどめ、観る者の視覚と思考を心地よく揺さぶり解放してくれる。これはひとつ手元に置いて、じっくりと向き合いたいと思わせる作品だった。

「カメラを止めるな!」を観る

めずらしく映画鑑賞の話。

あんまり映画とか観ないんだけど、たまたま休日に予定がなくて、なんとなく映画でも観るかと、新宿のケイズシネマに朝イチで行ってみて、すでに20人くらいの行列が出来てて、とりあえず最後尾に並んでみて、15分後にチケット代払って、30分後から予告が始まって、10分後に本編が始まったので、ぼんやり観てみたら、すぐさま引き込まれて、前半が瞬く間に過ぎて、後半がさらにヤバいのなんのって、観終わったら拍手喝采したくなるテンションで、公衆の面前で、「もう、最高かよ!」って叫んじゃったよ、心の中で。

この映画はね、愛ですよ、愛。

この夏、これ観ないと絶対損するよ!!!

版画作品の額装を依頼する

昨年購入した濱野絵美さんの版画作品を額装してもらった。依頼はいつものポエティック・スケープの柿島さん。額装コーディネーターとしても凄腕で、そのうえ版画も得意分野。版画の魅力を知り尽くしているので、安心しておまかせした。

まずは「耳付き」を活かすため、プリントにはオーバーマットを被せずにフローティング仕様に。版画の用紙は四辺を裁断していない耳付きの紙が好まれる。イメージサイズに合わせてカットする場合も、手でちぎるなどしてムラを作ることが多い。版画は紙の厚みや繊維質など、微細な物質感も作品の魅力の一部になっているので、耳を活かすのも大切なポイント。

そしてフレームは木製の白磨きにしてもらった。薄っすらと木目が浮き出て、アルシュ紙の紙肌や地色に馴染んでいる。白ラッカーだとフレームだけが主張してしまうし、無垢のままだと木目がうるさくなる。今回は白磨きが正解だった。

すべてのバランスのとれた清々しい額装で、期待以上の仕上がり。ほぼおまかせで預けっぱなしだったけど、大満足の額装になった。既成のインチフレームもいいけれど、一度はプロの仕事を体験するとその凄さがわかるはず。

ちなみに、もうひとつ銅版画の見所にプレートマークがある。銅版画を刷る際は高圧のプレス機にかける。ローラーを通る時に、版のエッジが当たり紙が破れたり、下敷きのフェルトを傷めたりしないように、予め版のエッジを削って傾斜をつけて慣らしておく。

傾斜がついた版をプレスすると、緩く角度が付いた四角い凹み跡がつく。写真でいうとマットの窓のような形になる。これをプレートマークと呼んでいる。刷り工程で必然的に凹むものだが、美しいプレートマークはイメージサイズの輪郭を際立たせ作品の完成度も高める効果がある。

だから、考え方の一つとして、できれば先ず版画はシートで観賞すると面白いと思う。インクが乗ったプリント面、耳、プレートマークなど、薄いけれど確かな物質感を手にとって楽しめる。それから額装しても遅くないというか。

この感覚はバライタのモノクロプリントに近いものがあるけど、さらにミクロな視点かもしれない。ついマニアックな見方になりがちだけど、写真に負けず劣らず版画も魅力的なメディアだと思っている。

写真集で話せる場所@book obscura

ひとり黙々と写真集に向き合うのも変えがたい時間だけど、写真集が好きな人と一冊の写真集をめくりながら、あれこれ読み解いていくのも楽しい。たまたま居合わせた人が興味を持って話の輪に加わるのも面白い。

写真一枚一枚に注目して、何が写っているのかを観察したり、撮影された時代、季節や時間帯について考察したりしてもいい。写真のシークエンスに目を向けて、どうしてこの組み方なんだろう、どうしてこの流れにしたのかと意見をかわすのもいい。造本、装丁について話すのもいい。感材や機材について触れてみてもいい。

また、同時代の写真集を俯瞰的に見比べたり、時系列に紐解いたりするのも楽しい。同じモチーフ ─ 例えはフリードランダーと森山大道の車窓とか ─ を見比べてみるのもいい。ロバート・フランクの「The Americans」のように、同じタイトルでも出版社が変われば編集が変わり、並びや画面サイズ、トリミングも変わることがある。「版」や「刷」が異なれば、同じ写真でも違いがあるかもしれない。

作家による製作意図やヒントが散りばめられていることもあれば、並びの妙だけで投げかけてくるものもある。深読みも厭わず、自ら問いを探して、用意されていない答えを見出す。これが楽しい。

その時その時、その人その人の経験や習熟度で答えは変わるだろうし、写真史や美術史を踏まえればまた読み方は変わり、さらに理解は深まって行く。

それができる場所のひとつに、古書店《book obscura》がある。店主の造詣の深さ、熱意、行動力、どれを取っても眼を見張る。誰よりも店主が最高に写真集が好きで、最高に楽しんでいる。こんな素敵な場所が近くにあるなんて、とても有難いことだよね。

柿崎真子 展「アオノニマス 廻」@POETIC SCAPE

楽しみにしていた柿崎さんの個展に足を運んだ。馬車道の展示以来だから約3年振り。

アオモリとアノニマスを組み合わせた造語 ── アオノニマス。とても響きのいい美しい語感で、素晴らしいタイトルだと思う。そこに毎回、漢字一文字が続く。今回は「廻」。どの写真も渾々として尽きることなく、沸々とたぎる根源的な廻りを捉えているようで、ひたすら見ていたくなる。

じっと見つめていると、青森の何処かだと知りながら、ここは一体どこなのだろうと考えつつ、やがてここがどこかは気にならなくなっていく。柿崎さんの写真の不思議な匿名性だ。

柿崎さんの写真はとても深度は深い。目の前にある土地 ─ 土壌、淡水、海水、鉱物、大気、草木 、微生物 ─ と対峙することで、青森が青森になる前の、さらにまだ地名らしい地名が付く前の、さらに人の営みが始まるずっと前の太古の生態系を想像させる。

同タイトルの写真集も良い。柿崎さんにとって初の綴じ製本。既刊の2冊はいずれもスクラム製本で綴じられていなかった。これはこれで良かったけど、やはり造本のしっかりした写真集は美しい。サイズ感といい装丁といい、写真の並びといい、どれを取っても秀逸。

裏表紙にも貼られている写真がなんとも不思議で、何かに見えて何にも見えない。まさにアノニマスな存在。さらに20〜24頁の流れは凄みがあり、この一冊の肝になるシークエンスだと思う。

クロヌマタカトシ個展「気配」@ギャラリー上り屋敷


クロヌマタカトシさんの木彫。拝見するたびに少しずつ変化している。ひとつの宗教観を宿していて、気品と美しさの中に畏怖の念を内包しているようでもあり、人間の性や業の深さ、狂気を暗示しているようでもある。

仏師の松本明慶さんがドキュメンタリー番組で「自ら仏を彫るのではなくて、すでに宿っている仏様を世に出す手伝いをするだけです」ということをおっしゃっていた。どうもその境地に近づいているような気がする。

写真家の田中大輔君がクロヌマさんのアトリエ写真を撮影していて、それも展示されていた。クロヌマさんが田中君の写真展にたまたま訪れて、感じるものがあったようで、アトリエ撮影を依頼したそうだ。どこまでも田中君の写真であったが、木彫と見事に呼応していた。

床に置けなくなったら天井がある

久しぶりに写真集の買取を依頼する。部屋が狭いのでやむなし。いろんな意味で生活に支障をきたし始めた頃合いに、泣く泣く厳選して手放している。

それでも充電池のメモリー効果のようにじわじわと棚の空きは少なくなっていく。持ち家じゃないので今後どうしたものだろうかと自問自答する日々。

今回買取を依頼した某古書店主も私物の写真集が大変なことになっているそうで、大好きなものに囲まれてホクホクしながらも、増えつづける本は悩みの種でもあるらしい。

でも同居人に「床に置けなくなったら天井があるから大丈夫」と言って慰めてくれたとか。さすがにその発想はなかった(笑)

まだ自分は床はおろか、棚の心配だけをしていればよのでずいぶんマシな方だと思えた。買いっぱなしにできる環境はうらやましくもあるが、制限がある方が工夫のしがいがある。

熊谷聖司 展|EACH LITTLE THING @POETIC SCAPE

いよいよ「EACH LITTLE THING」の#9、#10が刊行された。10巻揃えたら三方背の特製ケースがもらえる。コツコツ集めてきた人にとってはうれしい特典だ。「EACH…」の10巻と頒布小冊子「VERY LITTLE THING」を合わせた全巻が、ピシッと箱に収まる姿にほくそ笑んでしまう。

今回の展示も素晴らしい。印画紙は反射率の高いクリスタルペーパーを使っていて、これが熊谷さんの写真と相性抜群だった。印画紙のほのかにメタリックな光沢感がハイライトを活かし、ピントがシャープなのにどこか柔らかい印象を受ける。フラットな展示構成と相まって、気持ちの良い空間になっていた。写真集とはまるで違うテクスチャなので、見比べてみるのもおもしろい。

「縦位置でカラーのみ、セレクトと編集にあまり干渉しない」を続けることで、熊谷さんはすべてを等価で見たいという感覚が生まれたそうだ。イメージの縦横や大小、比率の違いなどの要素を省き、セレクトも編集も(信頼できる)他者に委ねる。できるだけ要素を少なくすることで見えてくるものとは。今回で「EACH…」は一区切りとなったけれど、フラットにものを見てみるという試みは、また違った形で続きそうだ。

それと「book obscura」で同時開催の『熊谷聖司のマルクマ本店 -写真家はどう写真集をつくるのか』 も良かった。熊谷さんがどんな写真家や文筆家に影響を受けて、何を踏んできたかが垣間見える。自筆の文章やイラスト、写真などが壁面いっぱいに貼られ、意識と無意識を混在させるようにヒントが散りばめられている。写真集づくりのプロセスも辿れ、さらに深く読み解くきっかけになるイベントだった。

橋本とし子写真集『キチムは夜に飛ぶ』刊行記念写真展 @ふげん社

ふげん社の刊行記念展に最終日の終了間際に駆け込む。

タイトルの「キチムは夜に飛ぶ」がまず気になる。娘さんの突然発した言葉から直感的に付けたタイトルだそうだ。ユニークだけれど、これがしっくりとくる。

一見、時代性があやふやで、現代を撮っているとわかっていても、大正や昭和初期の情緒を感じさせる。ぎゅっと圧縮された異空間に足を踏み入れてしまったような写真たち。どこか乱歩的で怪奇な雰囲気が漂っている。それでいて愉快。居心地の良さと悪さが同居してる。

さらに写真集の表紙が面白い。藤色の地に黒艶の箔押し文字。左上にクロッシェ帽を被る少女。踏み込んだデザインだけれど、写真の良さを引き出しているように思う。これだけ攻めていて成立させるなんて本当にすごい。Book Photo PRESSの長尾敦子さんのデザイン。

高コントラストや粒状感はご主人の影響が少なからずあるとは思うけれど、この怪しい独特な世界観と相性が良いようだ。キチム(吉夢)の不可思議な世界は大人心も子供心もくすぐってくれ、とわくわくする夢物語のようだった。

福井守 作品展 @OUTBOUND(吉祥寺)

吉祥寺のOUTBOUNDで福井守さんの木工作品を見に行ってきた。間伐材や流木などの素材を活かしながら、作家の頭の中にある心地の良い形を削り出している。手つかずの素材をあるがままというよりも、自然界に存在する数学的な美しさをという感じだ。

一点ずつ手に取りながら見ていくと、艶やかに黒光りした作品のひとつに目がとまる。アサガオの種を両手一杯くらい膨らませたような楕円体をしていた。上部に稜線のような一筋のエッジが伸びていて、底には3、4本の亀裂が走っている。

片手で持つには不安だったので、そっと両手ですくい上げてみる。予想よりもずしりと重く、磨かれた曲面が手に心地よい。角度を変えるとまるで違う表情になる。自分の気持ちの良い角度を探してみたくなる。

キャプションには「樫/篠山にて間伐される/鉄染め」とあった。樫の間伐材か。「鉄染め」って何だろう? スタッフの方に話を伺うと、サビ釘などを酢に浸して作った酸化鉄溶液を材に塗布し、タンニンと反応させて木肌を黒く変色させる技法なのだとか。草木染めにも使われていて、あのお歯黒と同じメカニズムらしい。

そこに在るだけで、その場が居心地よくなる木工オブジェ。このお店でまた素晴らしい作家に出会うことができた。

今夏はニット作品をひとつ飾る

img_2135.jpg《宮田明日鹿 / Femmes au chien / 「con/text/image」@POETIC SCAPE(2016)》

予定のないゴールデンウイーク。半年ほど続けていたアンサンブルな壁一面の額装品をすべて外し白壁に戻してみた。いったんリセットして、次は何を飾ろうかと考える。

ひと作品ずつ試しながら決めたのは、宮田明日鹿さんのニット作品。黄色と青色の補色のコントラストが初夏からのさわやかな季節にぴったりだ。今夏はこれで行こう。

これまでは申し訳ないと思いつつも、ストレージボックスから出しては眺めているだけだった。ようやく壁に掛けてあげられた。それも個人的には最高のタイミングで。

宮田さんは美術館巡りの際に展示品のキャプション部分をメモ代わりに撮影する習慣があった。その画像を改造した電子編み機に取り込んでニット作品に再構築してる。低解像でパースがついてしまった画像が、作家自身も想像だにしない編み物として生まれ変わる。

額装されたニット作品の脇にある小さなアクリル貼りのキャプションが親であり、ニットが子供。まさに目玉のおやじ的な親子関係。テキスト、画像、ニットの循環が目眩がしそうなほど楽しい。

他に類のない、唯一無二で、とてもユニークなユニークピースの作品。初めて見たときは戸惑いと驚きでどう受け止めてたら良いのか分からなかった。でも知れば知るほど宮田ワールドの可笑しさと懐の深さにはまっていく。

昨年、調布で開催された「クリエイティブリユースでアート!」では、招聘アーティストとして参加し、即興性を加えて、複雑にレイヤーが絡んだアメージングな作品を披露していた。これから期待の斜め上どころか、桂馬飛びに進化する姿をこれからも拝見できそうで、楽しみでならない。

《宮田明日鹿 / 「クリエイティブユース」@調布たづくり(2017)》

ポラロイドの写真集〈その3〉

またいつの間にかまた増えてきてしまったポラ系写真集やアーティストブック。ひと区切りの〈その3〉。そろそろ収束の感があるとかないとか。

DAVID HOCKNEYCAMERAWORKS

前から気になっていて、タイミングが合えば手に入れたいと思っていたデイヴィッド・ホックニーの写真集。アマゾンとかでもあるんだけど、じりじりと古本相場が高騰していて買いあぐねていた。先日、ようやく別口で程度の良い出物があったので、この機を逃すまいと購入した。

写真をつなぎ合わせるという意味で、ジョイナーフォトと呼ばれている。前半がポラロイドで、後半が35mmという構成。多視点とか立体的な配置とかを見ていると、割と緻密に組み合わせているみたい。初めはポラで撮っていて、途中からどうしても余白が気になって35mmフィルムに変えたらしい。

美術史や絵画技法の独自研究でも有名で「秘密の知識」はもう新刊は完売していて古本がレア価格になってる。これは買えそうもないので、続編的な「絵画の歴史洞窟壁画からiPadまで」は読んでみたい。ので、早速注文してみたら、予想以上に判型が大きかった。

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Edward Fella: Letters on America

米国デザイナーのエドワード・フェラの作品集。デザイン業界では有名な方らしい。内容は、ショーウィンドウ、看板、サインボード、道路、シャッターなどの文字デザインをポラロイドで収集したもの。合間合間にドローイングも入っていて、色彩やグラフィカルな文字がぎっしり詰まっていて、とても楽しい作品集だ。SNSで見かけてジャケ買いしただけなんだけど、かなり気に入ってます。

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PETER STREHLE : LOST STORIES

メディアアーティストのピーター・ストレーレによるファウンドフォト作品。古いポラロイドを一般家庭、蚤の市、ebayなどを利用し全米中から買い集めて架空の物語をオムニバス形式で紡いでいる。かぶせ箱入りで、蛇腹折り製本の10冊セット。Steidlから出ているダヤニータ・シンの写真集「Museum Bhavanを思い出した。

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ILVA SUNDGREN : NO ONE CAN LOVE LIKE WE DO

スウェーデンのフォトグラファー、イルヴァ・サンドグレンの写真集。どことなく寂しげで孤独感をまとうイメージが並ぶ。ポラロイドの原寸大で、イメージ部分にニス加工が施されリアルな質感になっている。手のひらに隠れんばかりのコンパクトでかわいらしい一冊。

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MARKUS RAETZ POLAROIDS 1978-1993

スイスの現代美術家のマーカス・レェツの作品集。完成作品や製作工程をポラロイドで記録したもの。視差や錯覚を使った作品が多いようだ。一枚、特に気になったのがある、いろんな意味で。

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「植田正治写真展光と陰の世界―Part II」図録

ときの忘れもので開催されていた展覧会の図録。蔵出しのポラロイドを展示するとあって、ぜひ拝見したいと思っていたんだけど、予定が合わず会期を逃した。せめて図録だけでもと取り寄せる。これが良い。簡易な小冊子ながら、植田正治の世界観をポラロイドで楽しめる。

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RHIANNON ADAM : DREAMLANDS/WASTELANDS

〈その2〉で紹介した「Polaroid: The Complete Guide to Experimental Instant Photography (Missing Manual)」というポラ系のハウツー本と同じ写真家。一冊で両A面のような作りになっている。紙質はそこそこだけど、面白い造本。英国の2つのリゾート地を期限切れのポラロイドで撮影したもの。子供の頃の憧憬を交えるように、とろみのある夢物語のようなイメージが展開する。

週末のサイアノタイプ

骨休めにというわけではないけれど、アナログなことをやりたくなって、久しぶりに夜な夜なサイアノを焼く。思いつきなので特にめぼしいネガもなく、その辺にあったドライハーブとか道で拾ったタンポポをコンタクトプリンターに挟んでささっと露光する。

混合感光液の黄色が紫外線露光され青灰色になり、オキシドール溶液に漬けると瞬く間に青藍色に転じる。モノクロプリントで像がじわりと浮かんでくる感じとも違う一瞬の化学変化。シンプルで美しい。

サイアノタイプの写真集といえばAnna Atkinsの「Sun Gardens Victorian Photograms」がお馴染みだと思うけど、この古本はちょっと高くて手が出せていない。唯一持っているが、 Zeva Oelbaumの「BLUE PRINTS – THE NATURAL WORLD IN CYANOTYPE PHOTOGRAPHS。アトキンスのボタニカルな系譜を受け継ぎながら、より繊細なイメージが見ていてほれぼれする。こういうのもやってみたいなあ。

森山大道写真展「Ango」@POETIC SCAPE

森山大道「Ango」をやっと見に行けた。ぞくっとしてうっとりする絶品の展示だった。漆黒の桜、濡羽色の黒髪が目に飛び込み、ぐるぐると頭の中を駆けめぐる。坂口安吾の「桜の森の満開の下」と森山大道の「桜」が怪しく交配し、妖艶な新種の花を見事に咲かせていた。

「桜の森の満開の下」は坂口安吾の代表作であり傑作とされている怪奇短編小説。読んだでみたら、これがなかなか残虐で寒気のする話だった。それでもやめられずあやかしの物語の中へずぶずぶと引き摺り込まれてしまった。

「桜の森の満開の下」は冒頭の一部にこんな件がある。

近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが 、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので 、能にも 、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう (このところ小生の蛇足 )という話もあり 、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです 。

《青空文庫より抜粋》

桜が怖ろしいという感覚は自分にはなかった。言われてみれば誰もいない夜桜を見ると、儚さや切なさを感じることはある。でも、怖ろしいとまでは思ったことがない。桜は春の訪れを告げる季節の風物詩で、愛でるものであり楽しむものとして刷り込まれているのは確か。そもそもの江戸期以前の花見文化、桜の捉え方が気になる。手がかりになる本でも探してみようかな。

町口さんの新作本がまた凄い。きらきらと虹色輝く黒い本。はじめ表紙は黒地に箔押しかなと思ってたら、「これ、ホログラム箔に黒インクを重ねてるんですよ。箔が透けなくなるまで何回か刷ってるんです」と説明を聞いて腰を抜かす。ホログラムの上からスミ重ねるって凄い発想。丸背も滑らかで美しい。本文の白文字は黒紙に白インクじゃなくて、白い紙にスミベタの地で白抜き文字だろうか、小口が白いから。いつもの筑紫オールドが効いてて、さすがの◯態的造本。森山大道と町口覚。このコンビは最高だ。

コヨーテ最新号の「森山大道 写真のすべて」もゲット。こらからじっくり読むつもり。古本で買った1号の「特集 森山大道 ── その路地を右へ」との読み比べも面白そうだ。

泉大悟写真展「UNDERCURRENT(2018)」@銀座月光荘・画室3

毎度楽しみな泉さんの写真展。月光荘の画室3のスペースはほど良い狭さで、泉さんの写真のサイズによく合っている。回を重ねるごとに、多重層の画面構成が堂に入ってきている。繊細なモノクロの階調と相まって、泉さんならではの写真へと醸成されているのがわかる。

写真を一目見ただけで、誰々の写真だと分かるというのは、写真家にとってスタイルを持っているという意味で大切な要素ではないだろうか。泉さんも継続することでスタイルを獲得しつつある。

写真はロバート・アダムスのようにじわじわくる系かなとも思ったけど、どちらかといえばクーデルカとかケルテスとか、きりっとした画面構成に近い気がする。加えておぼろげなレイヤーを含んでいるので、力みがなく穏やか。コンパクト画面に、ユニークな構図が面白い。

気になったのは壁を写したシンプルな構図の写真。見ているとクーデルカのジプシーズを彷彿とさせた。もっともっと引きで撮影していたら、あの下を向く白い馬が現れてきそうだ。え、何? どこ? ここ? っていう距離感も泉さんらしい。コツコツ丹念に継続されている泉さんの写真は、ずっと見ていきたい写真の一つだ。