川田喜久治「Last Things」@PGI

東麻布へ移転したPGIへ川田喜久治「Last Things」を観に行ってきた。

や、参った。本当にすごい。御年83歳にして、現役バリバリの写真家だと思い知らされた。他の追随を許さないそのバイタリティはいったいどこから来るのだろうか。「矍鑠」という言葉すら失礼なほど、意欲的に作品を作り続けている。老体に鞭打ってではなく、いまだ好奇心に任せて意気揚々と活動している。

フィルムだデジタルだという論調なんてどこ吹く風で、自分が今これだと思った手段を迷わず選んでいる。今回はデジタル(確かライカ)の撮り下ろしで構成されていて、具象と抽象の狭間のようなイメージがぐいぐい攻めてくる。よくわからないが、いろんな意味ですごすぎて観賞中に笑えてきてしまった。

この日は新井卓さんとのトークショーの日でもあった。川田さんの言葉は強くて明快。曖昧な物言いはしない。それでいて話しぶりはしなやかだ。新井さんが大先輩へ緊張交じりに質問しても、すかさず意を汲んで、的確かつ簡潔に答えてらっしゃった。強烈な言葉の中に愛や思いやりを感じられた。自分が川田さんの年になった時にここまで理路整然と熱意を持って答えられるだろうかと思ってしまう。まあ、今も答えられそうもないんだけど。

川田さんは書籍からヒントを得て撮影に入ったり、セレクトをしたりすることが多いとのこと。それもひとつの単語や文節、段落などインスピレーションがわくものが見つかれば、それ以上読まないらしい。あとがきから目を通すこともあるのだとか。今作の元となったポールオースターの「最後の物たちの国で」についても、ヒントをつかんでからは全編を読んでないと(爆弾?)発言をされていた。

ようするに、川田さんは本を読むために読んでいるのではなくて、あくまで写真制作のために読んでいるのだ。だから、目的を達すればあっさりと手を止めるし、一冊を読み通す必要があればそうするだけ。それもこれも、すべては写真のためにということだ。

常に写真を撮り続けながら、ある瞬間に言葉からイメージが膨らんで写真を組み直したり、さらに撮り進めたりして、ひとつのシリーズを作り上げていく。ジャーナリズムやドキュメンタリーとも違う川田喜久治オリジナルのメタファーとしての写真が生み出される一因かもしれない。

得てして、目標が目的化したり、手段が目的化したりするものだ。写真をやっているとその脱線が楽しくなってしまうこともある。しかし、川田さんにはそんな様子は微塵もない。写真家としての確固たる矜持を持って写真に向き合っていると感じた。

昨年に近美のプリントスタディーでオリジナルプリントを拝見してからというもの、すっかりハートを鷲づかみにされてしまっている。かつては鳴らした往年の巨匠としてというよりも、今を走り続ける魅力的な写真家として無性に惹きつけられるのだ。

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プリントスタディ@東京国立近代美術館

先日、東京国立近代美術館のプリントスタディを利用してきた。

このプリントスタディはとても画期的なサービスで、近美所蔵のオリジナルプリントをワンコイン以下で直接閲覧できてしまう。サイト内の目録に登録されている所蔵品で、展示中か貸出中でなければ、ほぼ全て閲覧可能だ。毎週木曜日の午前と午後の二回のいずれかで予約できる。

今回は平日の休みが取れたこともあって一人で予約した。普段は学生の課外授業や、写真家や専門家の研究として利用されることが多いらしい。素人がたった一人で予約するなんてことは珍しいとか。「あまりないですか」と言ったら、研究員さんに「ええ、まれですね」と言われた。

今回の目的は川田喜久治「ラスト・コスモロジー」のシリーズで所蔵全40点余りを総浚いすること。MACK版の同タイトルの写真集を手にしてからというもの、どうしてもオリジナルを見てみたいと思い、勢いで予約してしまった。

はたして、研究員さんとほぼサシのやりとりになってしまったので、のっけから何とも言えぬ緊張感を漂わせながらプリントスタディがスタートした。オリジナルプリントのハンドリングは全て二名の研究員のみで行われる。閲覧者は素手でかまわないが、おさわりなし、マスクを着用が義務となる。鉛筆メモならOKだ。

参考資料として、同シリーズが収められた三冊の写真集もご用意いただいた。「ラスト・コスモロジー」の三菱地所・491版(1995年)とMACK版(2015年)、「世界劇場 the Globe Theatre」(1998年)。後で知ったけど、三冊目は超希少本だったようだ。

保存箱から全紙サイズのオリジナルプリントが慎重に取り出され、6×2枚に組まれたテーブルにまず6枚並べられる。ひとしきり見終わるとそれらをしまい、また次の6枚を並べて観賞してゆく。言葉少なに坦々とそれを繰り返す。

時折、気になったイメージは、用意した三冊の写真集を紐解き、同じイメージと見比べてみる。これがとても興味深くて、何度となくオリジナルプリントと写真集を行きつ戻りつした。あえて違う解釈をして濃度とコントラストを変えているものも幾つか見受けられた。その中でも異彩を放っていたのが「みずくらげ(江ノ島,1991年)」。最新のMACK版だけが高コントラストになっていて、ハイライトを効かしたイメージになっていた。左隣の「沙羅双樹とわた雲(東京,1980年)」とのバランスを考慮してのことのようだ。他の写真がどちらかというとオリジナルを忠実に再現する方向性なので、思い切った解釈だなぁと思った。

皆既日蝕や雲などの天へ視線を向けた写真。その真下、目線も下向きの日常的な写真。連想と逆ベクトル。それらを繋げ、ナビゲートするような鳥やヘリなどの飛行物。渾然一体となってシリーズを成している。見事に全方位的なコスモロジーになっているのだ。

この「ラスト・コスモロジー」はスティーグリッツの雲のシリーズ「エクィヴァレント」をはじめ、幾つものオマージュや暗喩も含まれている。なかなか奥深い。これからも読み解き甲斐のある作品群だと思った。

オリジナルプリントを堪能できたこともさることながら、新旧の写真集との見比べは新たな発見があった。また機会を設けてプリントスタディを利用してみたいと思う。

にしても、二時間近くほとんどぶっ通しで見続けた後は、しばらく惚けたままだった。写真を見るのも体力勝負なところがある。