とにかく早く観に行きたい。
もうそれだけ。
正直に言って「鴉」しか知らない。
それですらかなりあやしいし。
なぜ強烈に惹かれるのか、
それを確かめたい。
MACKさん、さすがです。
川田喜久治さんの同名写真集の新版に当たる本作。最初は復刻版だと思っていたけど、未公開作と近作を追加し再編集してあるので、増補改訂版版と捉えてよいと思う。 ちなみにこれはMACK+GOLIGAのスペシャルエディションで、特製外箱入り。その外箱にオリジナルプリントが貼ってあり、その下にサインとエディションナンバーも入っている。黒地に金文字が映えてとてもかっこいい。
オリジナルプリントを貼り付ける手法はたまに見るが、普通なら地に四角くエンボス加工をしてから、その内側に貼って縁を作り、凹凸をなくすのが定石だろう。見た目も上品になる。ところがこれはだたペタッと外箱に貼っただけだ。予めデザインに落とし込んだ感じがしない。どこか生々しさが出ていて面白と思った。ひょっとしたら、もともと外箱入りだけのスペシャルエディションだったのが、急遽プリントを貼り付けることにしただけかもしれないけど。
川田さんは常に今を見ている写真家だと感じた。この写真集もかなり最近のカットが含まれている。思考を止めず、歩み続け、自分が撮りたいものを撮り続ける。あまりにもかっこいいではないか。
濱田さんの写真展。以前、銀座ニコンサロンで拝見して以来、気になる作家の一人だった。その時は「混濁」というシリーズだった。タイトルが秀逸でとても印象に残っている。今回は「INSOMNIA 」。不眠症という意味らしい。同じ雪をモチーフにしながらも、テーマが異なる。いずれも自宅周りの雪を撮り続けたシリーズだ。
北海道在住の濱田さんにとって、雪は日常であり、いつも見ているものであり、避けては通れないものだろう。豪雪地に住む人たちにとっては、雪と聞けばまずもって鬱陶しさが募るかもしれない。だからかは分からないけれど、雪を美しいものとして撮っていない。アスファルトに残る泥混じりの雪。窓を塞ぐようにうず高く積った雪。雪掻き後に道端に寄せられた塊のような雪。その眼差しにとても興味を惹かれる。
こういうモノクロプリントを見るとテンションが上がる。ぞわぞわっとなるな。
数年越しの念願叶って冬青社から写真集を上梓された。これもまた秀作。印刷は言わずもがな。表紙のデザインも作品のイメージととてもよく合っている。判型も丁度良い感じだ。ちなみに個人的には光沢紙のカバーを外すと最高にかっこよいと思う。
次は新作で臨むとのことだった。濱田さんの新たな視点がどう写真になるのか楽しみでならない。
恥ずかしながら、下瀬信雄氏を知ったのは、今回の第34回土門拳賞を受賞してからのこと。氏は山口県萩市で写真館を営む傍ら、4×5判にモノクロフィルムで独自の視点で萩を撮り続けている。それも途方もないキャリアである。77年にはすでに銀座ニコンサロンで最初の展示をされている!
土門拳賞の一報を知り、こんな方がいらしたのかと驚いた。早速写真集「結界」を求めた。いわゆる風景写真とは違う。なんと言ってよいのかわからないけれど、「そう容易くないよ」、「知った風な口を利くもんじゃないよ」。そう言われている気がした。自然に媚びず、軽々しく礼讃せず、そんな感じだろうか。
今回の銀座ニコンサロンは受賞記念としての展示だった。精緻にとらえられたモノクロのプリントが静かに迫ってくる。もっと早く知っておきたかった。それでも遅ればせながらプリントを拝見できてよかった。
初めてお目にかかった下瀬さんは、とても穏やかで、どこまでも自然体で、少し照れ屋な一面もある魅力的な方だった。感じるのは謙虚さ。だからこそ、慣れ親しんだ萩を、「狎れる」ことなく、畏敬の想いで写真に収め続けることができるのではないだろうか。
最後に無理を言ってあるプリントを注文させていただいた。畏敬の想いを知る手本になればと思う。

泉さんの写真展におじゃまする。静謐で端正なプリントが素晴らしかった。やはりプリントが上手い。前回のニコンの徹底した物撮りより、もう少し距離感のあるイメージにシフトしていた。その距離、数歩後ろといったところ。それでも大きく世界観は変わる。スナップではない、と思う。窓ガラス、ワイングラス、カーテン越しなど窓際の絶妙な光を捉えたモノクロらしいイメージだ。
ただ単に美しいプリントというわけではなくて、タイトルにある通り、見えているものの底流にある何かを捉えたいと考えているようだった。よくよく見ると、それを意識するようなセレクトになっているのがわかる。先に挙げた窓ガラス、ワイングラス、カーテンも、写り込みによる像の重なり、多重のイメージはその意識の表れだと思えた。
おそらくこれからもっと深く探っていくシリーズなのだろう。写真の見えない底流に触れていく作業には興味が惹かれる。美しいプリントの中に、チリチリとノイズのような引っかかりのある作品だった。美しさと引っかかり。これを両立させるのは難しい作業かもしれないけれど。
銀座月光荘の画室3。かなり良い場所にあるギャラリーだった。

いつかは手に入れたいと思っていた写真集。ひょんなことから手に入れることができた。かなりうれしい。 スデクの写真集でこのパノラマ写真が一番好きだ。二、三年前に古書市で立ち見して以来、完全にロックオン。でもその時は手が届かなかった。その後も何度か目にするものの、やはり買うには勇気がいる値段で断念し続けていた。 1959年の初版はもう幻のような写真集で、古書相場もさることながら、まず直接お目にかかることもままならない。こちらは1992年にオデオン社から出版された第二版だ。それでも最近では出回らなくなってきたなあと思っていた。 やはり古本は一期一会。その時に買っておかないと後悔する。この機会に入手できてよかった。

伊藤計一写真展「千年桜の種」
久しぶりの写真展鑑賞。で、久しぶりのギャラリー冬青。実に良かった。先月の権平さんの展示を見逃してしまったので、今回は是が非でも見たかった。千年桜と、刀鍛冶や足袋職人によって長年使い込まれた道具の数々。雁皮紙に浮かび上がるイメージに惹きつけられた。見るにつれ変わりゆくものと変わらぬことがリンクしてゆく。
9番目の研師の洗い桶が好み。10番の玉鋼も素晴らしかった。
シベリア鉄道の車窓越しのイメージが静かに語りかける。幾重にも重なる18年前の記憶。
送られてきたDMを見てからというもの、FBのタイムラインに時折出てくるイメージを見るにつれ、予感はあった。
「あ、これ、きっと好きなやつだ」
展示を見る前から、既にプリントを買おうと決めていた。それも九割九分。そのくらいの期待感があった。
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18年前。渡部氏が北海道への転勤をきっかけに、近い存在になった旧ソ連。友人を誘いシベリア鉄道に乗ってロンドンへ行く計画を立てる。寝台車両で過ごす時間は退屈で、サロンの展望席でただひたすらシャッターを押し続けた。凍り付いた車窓越しに淡々と外の風景を収めていく。
帰国後もまとまったシリーズとして一切発表されること無く18年の月日が過ぎていく。本人にとってネガのイメージ、プリントのイメージだけが記憶に定着し、旅の記録は、旅でも日常でも無い何かの記憶へとすり替わっていった。
凍り付いた窓越しに写る景色は、白く光る氷の結晶や半融した滴によってじわりと滲み、その曖昧な記憶とシンクロしていくように見える。時間の積み重なり。イメージのレイヤー性。渡部氏とつかず離れずの関係性が、誰の物でも無く、誰の物にもなるイメージになっている。窓越しという一定の距離感と、上書きされていく記憶という曖昧な要素が重なり、不思議なイメージが客観性を持って展開される。そんな感覚になった。
プリントのフィニッシュも素晴らしい。本当に素晴らしかった。そしてプリントのセレクトから額装、シークエンス。どれをとっても完成度の高い展示になっていると思う。作家とギャラリストのセンスが絶妙にブレンドされている。
さて、タカザワケンジ氏とのクロストークも楽しみ。窓越し対談は果たしてどうなるだろうか。
WOLFGANG TILLMANS – 2015 HASSELBLAD AWARD WINNER
Passengers / Dagmar Keller & Martin Wittwer / Spector Books
素晴らしい写真集。ポーランドの夜行バス。窓越しに乗客を撮影したスナップショットで、印象派絵画のような魅力を湛えながらも、その瞬間にしか生まれない表情が実に写真らしい。SPECTOR BOOKS という出版社が好きになるきっかけとなった1冊。
八木清作品展 「Silat Naalagaq〜世界に耳を澄ます」
とても素晴らしいプラチナパラジウムプリントだった。八木さんは15年以上にわたってグリーンランドやアラスカなどの厳寒地を撮影し続けている。写真集の「sila」を見た時に印刷の美しさに衝撃を受けて、いつかは実際のプラチナプリントを見てみたいと思っていた。念願かなってというのは大げさかもしれないが、ようやくP.G.I.で企画展が開催され観賞することができた。
八木さんご本人も在廊されていて、これはチャンスとばかりにほぼプリント一枚一枚に素人丸出しの質問を投げかけ、それに丁寧に答えて頂いた。
プリントについてはどれも素晴らしかったが、一枚選ぶとするならば氷河を俯瞰で撮った一枚だ。距離感やスケール感が全くといって無いのがかえって面白かった。正直ほしい一枚だ。
お話で一番驚いたのはイヌイットがほぼクリスチャンだったということ。ロシア正教会の影響を受けてのことらしい。ロシアとアラスカは海を隔てながらも近しい間柄だ。影響を受けていない方がおかしいかもしれない。それでも何となくのイメージで民族ならではの宗教や信仰が息づいているものとばかり思っていた。もちろん風習として何某か伝承されていることはあるだろう。それでもお墓には八端十字架が立ち並んでいた。
キリスト教が入る前だとされるお墓の写真もあった。地面に亡骸を寝かせ岩を積んだだけのものだ。土葬の風習もなく横たえるだけだったらしく、ほとんどの場合、オオカミなどの動物に荒らされてしまうらしい。建造物址は発掘されても、人骨が見つかることはまれだそうだ。初めてと言っていいくらいに、イヌイットに思いを馳せたひと時だった。
この宗教にまつわるお話が、その夜聞きに行った津田直さんのトークイベントにも偶然共通した。非常に興味深い流れだった。
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