薄い立体物の存在感

写真を好きでいることで、版画やドローイングにも興味がわくようになった。基本的にペラものの存在感が好きなんだと思う。“薄い”立体物って自分の琴線に触れるようだ。

美術の専門的なことはわからないけど、三次元を二次元に落とし込む技法はどれも面白い。イメージに立体感を求めるのか、それとも二次元ならではの平面性を活かすのかでも表現は変わり、見え方も違ってくる。

ティルマンスの個展でもペーパードロップのシリーズはけっこう好みだった。印画紙をたわませて、その曲線やエッジを強調するように撮ったシンプルな作品だった。他の作品にもペラを使って、どう伝えるかを長年にわたり試しているようだし、予想以上にティルマンスの手法に共感できた理由の一つかもしれない。

金子隆一さんに比べたら

写真集が書棚に入りきらなくなったら、その時の価値基準で、何冊か手放すことにしている。断捨離という言葉はあまり好きではないけど、哀しいかな私の住環境では際限なく蔵書しておけない。

それでも、年々代謝が落ちてくる。「いや、これはまだとっとこう」という本が次々と残っていく。作家さんに直接書いてもらったサイン本は手元に置いておくので、さらに残っていく。悩ましい限りだ。

周りからは「写真集よく買ってるよね」と言われる。まあ否定はしないんだけど、実は、手放す方も多いんだぞと言いたい。だから、私は写真集コレクターではないはずだ。

だって、金子隆一さんや飯沢耕太郎さんに比べたら、みんな微々たるもんだし。

そう言い聞かせながらも、今日もまた写真集を買ってしまう。忘れた頃に「自然の鉛筆」が届く。そんな日々である。  

  

Carl Zeiss Planar C 100mm f3.5 T*

ハッセルブラッドの常用レンズは専ら100mm。どうもこの距離が自分にはちょうど良い。味とかクセとか歪曲とかはほぼ無いので、語られることが少ないレンズかもしれないが、キリッとした写りの銘レンズだ。別名「山岳プラナー」というらしい。80mmに比べて外観の違いは少なくて、鏡胴がやや長めというくらい。ハッセルではこちらが本当の標準レンズなんていわれることもあって、35mm換算で55mmに相当する。

80mmは換算で44mmとなり、自分には少し広いなという印象。100mmを手に入れてからは、次第に使わなくなってしまった。スナップにはちょうどいい距離感かもしれないが、ライカと違ってハッセルはスナップというテンポではあまり撮らない。もう少しゆっくりだ。

100mmで落ち着いている理由としては、距離感の他に、自分が撮りがちな写真に関係している。

デジタル(最近ではスマホ)ではあれこれ構図や見栄えを考えたがるくせに、フイルムで撮る写真は、いまいち何でもないというか、いわゆる「作品」とは程遠い画が多くなってしまう。

本来なら、たくさん撮れるデジタルは数撃ちゃ当たるでどんどん撮影して、貴重なフイルムは丹念に撮る方が理にかなっていそうだが、自分の感覚は逆になっているらしい。

ひょっとしたら、スマホの写真はSNSなんかを意識して色気が出てるのかもしれない。方やフイルムはどちらかというと自分にとって個人的な営みだ。生理的な反応で撮っているだけで、お披露目ありきでは撮っていない。せいぜい貯まってきたらグループ展とかで展示するくらいだ。

それならいっそレンズの味やクセに頼らない方が、プリントした時に「あーなんでもないな」って感じが際立って、自分らしいかなと思って100mmを使い続けている。

でも不思議なもので、ライカだと35mmなんだよね、やっぱ。50mmは代打の切り札的存在。機材が変われば写真も変わる。これも写真の面白さのひとつだ。

年末年始は寝正月

あけましておめでとうございます。

個人的には本厄が終わり、後厄を迎えました。
昨年はおかげさまで良き人と出会い、良き作品にも出会うことができました。体調面が整わない期間が続いたこともあってか、もどかしいことも多く、痛し痒しで、なかなか微妙な一年でもありました。

そうはいっても、本来、微妙とは「趣深くて、極めて繊細かつ複雑で、一言では言い表せない味わいがあるさま」という意味のようです。

むしろ微妙なことが多い方が成長できるのかもしれません。振り返ってみれば、何かしらターニングポイントになった一年だった気がします。

後厄の本年は「無事之名馬」でこつこつやっていこうかな。と言いつつ、やってみたいことはいろいろあります。

体調に気を使いながら、良きお仕事をしつつ、その上で良き写真作品に出会えたらと思います。

今年はサイアノタイプに挑戦の年。それに伴って露光機作りを試みます。またほぼ一年お休みしていたモノクロ撮影と、暗室も再開したいと思います。

亀山仁写真展「Thanaka II 雨安居」@ギャラリー冬青

先日、亀山仁さんの個展を見てきた。冬青での初個展から2年半がたっている。今回も継続的に撮影しているミャンマーの続編だ。少しずつ撮り貯め、吟味し、着実に形にしているのがうかがえる。

私が来た時は、数人の先客がいて、ずいぶん盛り上がっていた。軽く挨拶を交わして、まずは壁の写真に目を向ける。

プリントは見るたびに魅せられる。バライタのファインプリントはこうでなくちゃと素直に思える。それに亀山さんの写真を見ると妙に落ち着くのだ。きれいな写真というのが、一概に褒め言葉ではないかもしれないが、亀山さんのそれには自然と美しさを感じるし、人柄を感じさせる。

別紙のキャプションが面白い。短文でエピソードが添えられている。亀山さんに解説してもらうとさらに理解が深まる。

前回に比べて、より生理的な反応でシャッターを切っているようだった。自分がそこに佇んで、その風景を見ている。人と再会しておしゃべりしている。それがただ写真に写っている。そんな感じ。中には、自分が見ているという自我すら感じない写真もあった。

画面映えは求めていないが、プリントは美しい。飽きることなく、ずっと見ていられる写真ということだ。

それで思い出したのが、写真家の渡部さとるさんが同期で常々天才だと言わしめている写真家・山下恒夫さん。渡部さん曰わく「作為の無い撮り手」「カメラで撮っているという感じがしない」写真家だという。齋藤亮一さんについても似たようなことを言及していた。

作為を無くすというのは、並大抵のことではない。おそらく追い求めるものでもない。もちろん撮影技術や経験は必要かもしれないが、作為を無くすというのは、腕を磨いて習得するものではない。自ずとそうなる人だけがそう撮るだけなのだと思う。これは羨んでも仕方がない類のものだ。

きっと亀山さんも、そういう写真家になりつつあるのではないだろうか。次回の個展も決まったそうで、どんなミャンマーを見せてくれるのかこれから楽しみでならない。

井津建郎写真展「Eternal Light -永遠の光-」@ZEIT-FOTO SALON

京橋のツァイトフォトサロンで井津建郎さんの個展を観に行ってきた。

聞きしに勝る極上の銀塩プリントだった。

実はツァイトは初めて。日本で最古参の商業ギャラリーということは知ってはいたものの、気になる企画展もなんとなくスルーしてしまっていた。そこに井津建郎さんの個展開催が目に止まる。しかも、国内ではなかなかお目にかかれない銀塩作品とくれば、もう見に行くしかないだろう。

井津さんはニューヨーク在住の写真作家で、プラチナパラジウムプリントは世界的に定評がある。以前、御茶ノ水のギャラリーバウハウスでプラチナプリントを拝見したことがあり、壮大で美しいプリントに息を飲んだのを覚えている。

今回の銀塩も素晴らしかった。インドを二年以上掛けて丹念に撮影したシリーズで、一枚一枚がドラマチック。ダイナミックレンジの広いバライタプリントにうっとりする。土着の死生観を追ったドキュメンタリーであり、極上のファインアートだと思う。

とりわけ気になったのが、ガンジス河岸の火葬の写真。葬儀の形式はその土地の風習を如実に表す。モノクロの炎に自然と引き込まれた。

予算があれば購入したいプリントがあった。おそらく国内の販売価格はかなり抑えられているはずだ。それでも、残念ながら手が出なかった。またいつか国内での展示があれば、ぜひ検討したいと思う。これは巡り合わせというものがあって、予算だけでもないんだけど。

ちなみに、奥様の由美子さんもプラチナプリント作家であり、その繊細なプリントワークはご主人を凌ぐともいわれている。実際に「Noir」と「Blanc」のシリーズを初めて見た時は、しばらくその場を離れられなくなった。プラチナならではの連続階調を堪能するにはこれ以上無い作品ではないだろうか。

実はその奥様のプラチナプリントは一年ほど前に購入させていただいた。プラチナは自然光に映えると聞いたことがあるが、まさにその通りで、カーテン越しのプリントはいつまでも見ていられる。

いつかご夫婦のプリントが揃う日が来たらうれしいな。

 

仕事納め

今年も仕事納め。

来年はもう少し体調管理をして、
しっかり仕事したいな。

基盤は生業。

基本に戻ろう。

写真はそれからということで。

サイアノへ向けて焼き枠を注文する。

CV1ZsZ9UkAAC4jX
ELM Industries – 11″ x 14″ Contact Print Frame
サイアノタイプとかのオルタナティブ系を始めるにあたって、密着焼き用の焼き枠(コンタクト・プリント・フレーム)がほしくなってきた。

少し前までは、ネットオークションで入手しやすかったようだが、ヤフオクでは全く見当たらなかった。お目当は11×14サイズだったけれど、eBayの出品は、ほとんどが4×5や5×7の小振りばかりだった。ひとつ新品ぽい出品があったが、押さえ板が蝶ボルト止めで凹凸が目立ち、こちらはスルーする。

というわけで、新品を探してみることにした。まずはなんといってもPGIだろう。オンラインストアで見てみたが、価格に少しひるんでしまった。他も比較検討してみるかと、海外サイトに目を向ける。すると「Bostick & Sullivan」をみつける。これはPGIが輸入代理しているオルタナティブに強い写真材料屋さんだ。だから扱っている焼き枠はもちろん同じ。同サイズなら送料込みでPGIよりややお得かなというくらいだ。両社で比べたらPGIに軍配か。もうひとつ見つけたのが、「ELM Industries」。イメージ画像が多めで、構造や仕上げの説明もしっかりしている。なかなな好感触。

Bostick & Sullivan」の画像資料が少ないので何とも言えないが、どっちかがOEMなのかと思うほど瓜二つ。どちらもハードメール材だし。実際はどうなんだろうか。まあ、どっちでもいいけどね。

価格的にはPGI > B&S > ELM。送料の兼ね合いを考慮しつつ、総合評価でELM製の11x14インチフレームにすることにした。製品のイメージ画像と説明文が詳しかったのも決め手になった。

さっそく思い切って、PayPalで支払ってみる。ところが、一週間音沙汰なし。海外直販は日常茶飯事だし、写真集とかならあまり心配しないんだけど、久しぶりの大物だったのでさすがにドキドキする。様子伺いのメール出してみたら、「ごめんね、ちょっと休暇中だったんだ」と返事がきて、ひとまずほっとする。

それからもう一週間して無事到着。梱包が丁寧で、角打ちもなく、心配していたガラス板も問題なしだった。しかも予想以上に製品が丁寧な作りで感動ものだった。オイルフィニッシュのハードメープル材が艶々で、コーナー継ぎは太いダボのような円筒型の千切りを使って愛嬌のある仕上げだ。押さえ板は合板で強度も充分。金具類は変哲もないステンレス製ながら、メープル材と相性は良い。

次はこれに合いそうな露光機を検討中。たまに押し寄せるDIYブームがまた始まりそうだ。

価値観のリセット

普段はなかなか時間の合わない旧友と取り留めもない話ができた。おかげで自分の行き過ぎた価値観をリセットできた。「当たり前」が増えると「感謝」が減る。日々の喧騒でそれを忘れてしまっていた。とても有難い時間だった。

しばしの休養と言いつつ、ホームセンターで部材の下見をする。

少し体調を崩してしばしの休養。正直退屈。何日かしていくらか調子が良くなり、暇つぶしにホームセンターへ。サイアノ用の露光機の自作を目論んでいるので部材の下見もする。近所にホームセンターがあると危険すぎるな。工具とか部品とか物色していると無駄に欲しくなる。さて、どんな露光機にしようかな。とりあえず図面でも引くか。

柿崎真子写真展「アオノニマス 界」@馬車道大津ギャラリー

IMG_3437

馬車道で開催されていた柿崎真子さんの個展を観賞してきた。

2年ほど前に、恵比寿のナディフで一目惚れして購入したのが、柿崎さんの「アオノニマス 肺」と「アオノニマス 雪」という2冊の写真集だった。中綴じ製本ぽいが、実際には糸でもホチキスでも綴じられておらず、束ねて二つ折りにしただけの製本になっている。スクラム製本というらしい。そこにメインヴィジュアル付きの広い帯を縦に巻きつけたパッケージになっていた。

写真を見ただけでは「いつか」も「どこか」も類推するのは難しい。あとがきを読めば「どこか」はわかる。生まれ故郷である青森の八甲田山や千畳敷、恐山。それが、柿崎さんの写すそれらの土地は、時間や時代の感覚をどこかへすっ飛ばしている。見る人が見ればすぐにわかってしまうかもしれないが、土地勘のない私にとってはきわめて不思議な光景に映った。

さて、その馬車道の展示について。馬車道大津ギャラリーは、横浜らしい端正な近代建築の馬車道大津ビルの地下にある。お世辞にも建てつけが良いとは言えないが、地下の奥まった佇まいが落ち着きを感じさせた。壁面の真上に天窓があり、ガラスブロックが一列に並んだ細い採光になっていた。天窓の自然光とスポットライトとが相まって、ギャラリー内に柔らかいミックス光を回していた。おそらく作品を選ぶギャラリーだと思うが、柿崎さんの写真はこの空間によく合っていた。

写真はどれも新作のようだ。写真集には載っていないイメージばかりだった。侵食され丸みを帯びた岩肌や、青々と水草が茂る川面などの原始的な風景が並ぶ。静かなランドスケープに漂う生命力、渾々と湧き上がる根源的なエネルギーを感じさせた。実際のプリントも美しい。ずっと見つめ続けていたくなるし、何巡もしたくなる個展だった。

「アオノニマス」というタイトルも秀逸。故郷の青森の「アオ」と、匿名の「アノニマス」を掛け合わせた造語で、故郷への想いを入れつつも「どこか」にとらわれていない。写真のイメージとタイトルがぴたりと合致している。

ゆっくりなペースながら、確実に良い作品を発表している。これからも応援したい写真家だ。

写真集「アオノニマス 雪」
写真集「アオノニマス 肺」

サイアノタイプWS

麻布十番の田村写真でサイアノタイプWSに参加してきた。いや、楽しかった!

先月参加したグループ展で友人が試しでやったプリントを見せてもらい、すっかり触発されてしまった。思い立ったが吉日とばかりに、その2週間後にWSを予約した。

サイアノタイプとは、青写真とか日光写真ともいわれ、特有の青い発色が魅力の古典印画技法だ。モノクロプリントが銀塩(塩化銀・ハロゲン化銀)を還元させて像を作るのに対し、サイアノタイプは鉄塩を反応させて青色いモノトーンの像を得ることができる。

自分は化学にまったく明るくないので、ひとまず工程はメモ程度で。さらに興味を持ったら、調べてみたいと思うけど、まずは初めの一歩ということで、WSで作った数枚のプリントで一満足。

大まかなプリント工程は以下の通り。

  1. データ作り(QuadTineRIP)
  2. デジタルネガの出力(EPSON PX-5V)
  3. 感光剤の調合(A液+B液)
  4. 水彩画用紙への感光剤の塗布
  5. 用紙の乾燥
  6. 焼き枠へネガと用紙をセット
  7. 紫外線露光機による密着焼き
  8. 現像(クエン酸水溶液・pH3.5-4.0)
  9. 過酸化水素水(オキシドール)による濃度とコントラスト調整
  10. 水洗
  11. 乾燥
  12. フラットニング
  • A液:クエン酸鉄アンモニウム(III)(緑色)
  • B液:フェリシアン化カリウム

薬品の配合はいろいろレシピがあるらしい。PGIにキットがあるので、今後はそれを使おうと思っているが、田村写真とは、多少の違う味付けをしているのだとか。

3)は基本の調合は1:1。田村写真はちょっと違っているみたい。比率の違いがどう影響するのかわからないが、自分で試してみるのも面白そうだ。

8)の現像では、蒸留水だけでも良いが、酸性の方が進みが早いのだとか。WSでは硝酸を使っていたが、これは劇薬なので、酢酸かクエン酸で代用。自宅ならクエン酸の方が安価で安全に使える。

9)は冴えた濃い青になるので感動的。溶液の濃度もやり方もいろいろあるそう。やらない人もいるそうだ。

何しろサイアノタイプの青が美しい。この青は一度体験すると病みつきになる。プラチナパラジウムプリントは、ネガ作りも難易度が高く、環境面もコスト面もハードルが高すぎるが、サイアノタイプは比較的簡単にできるのが魅力。

今のところ、デジタルネガを作る環境ではないので、取り急ぎ薬品や小道具類を揃えて、オーソドックスに葉っぱのフォトグラムあたりからやっていこうと考えている。露光機くらいは自作しようかな。

進展があればまた続きを。

矢島陽介写真集「Ourselves / 1981」

最近どういうわけだか、気になって仕方がないのが矢島陽介さんの写真だ。一見するとドライで無感情な印象を受けるイメージで、自分の興味とは対極にありそうな写真ばかり。なのに、無性に気になる。

振り返ると、ギャラリー916 small でポートレートを展示していたのを思い出した。その時は気になりつつも、ステートメントを読んでも製作意図がくめず、印象に残ったとは言い難い。

ところが、この「Ourselves / 1981」はちょっと違った。一定の低いテンションであることは変わりないが、人物だけでなく、環境も取り込んで撮影している。その辺が自分にとって入りやすかったのかもしれない。

なんだろうと思って、矢島陽介を調べてみると、ひとつヒントになりそうな本人の言葉があった。それは「VICE Japan」のインタビュー記事の冒頭で言及していた、取り巻く環境の違和感やズレについてだ。

子供の頃から今までに日常的に感じている他愛のない小さな違和感やズレのようなものの積み重ねが元になって作品を作っているんだと思います。

引用「VICE Japan 若き写真家が見る歪んだ世界Vol.01 -矢島陽介-」

子供の頃に当たり前のように信じていたことが裏切られると、大人が思っている以上にショックなことがある。そんな時、受け入れつつもどこか気持ちが冷めてしまうような、所在ないような、そんな感覚になったのかもしれない。上京した時の違和感も、受け入れつつ、でも消化できない。そういう整理のつかない感情が残ったままのようだ。

写真は無駄のない構成で、そこに意図的に「違和感」の要素になる人や物を入れ込んでいる。半ばセットアップ写真なのだが、必然性があり嫌味がない。それどころか、潔い試みとも言え、美しさも感じる作品になっている。不思議な魅力のある写真だと思う。

下平竜矢写真展「星霜連関」@新宿ニコンサロン&東塔堂

下平さんの展示を見てきた。時期が少しずれてはいるが、新宿ニコンサロンと東塔堂のほぼ同時開催だ。

以前から「下平竜矢」という名前は聞き及んでいた。トーテムポールフォトギャラリーにも所属していたことも知っていたが、なんとなく今まで見る機会がないままだった。

初めての下平竜矢さんはごく最近の話で、写真集の「星霜連関」。たしかFBのタイムラインにそれが出てきて、すかさず写々舎のサイトで購入。これが無茶苦茶かっこよかった。すっかり下平ワールドにハマってしまう。

禅フォトの個展を見逃していたこともあり、必ずどこかでプリントを見たいと思っていたところ、早々に新宿ニコンサロンと東塔堂の同時開催をするという。10年間の集大成。怒涛の展示ラッシュだ。

先に東塔堂へ。下平さんも在廊されていた。風景のミニプリントが十数枚並んでいた。写真とナチュラルウッドの額装は店内とうまく溶け込んでいる。風景写真のみのセレクトで、写真集で感じた熱量が抑えられて、どこか神々しい静けさを漂わしていた。

下平さんに伺うと、ニコンの方は人物を交えた「星霜連関」の全容を掴めるセレクトで、東塔堂は試験的に風景だけを選んでみたという。「どうなるかはわからないけれど」と付け加えつつも、「これからは風景を追っていきたい」と言っていた。ここでは小部屋の滝の写真が気になった。

それから日を改めて新宿ニコンサロンへ。会場に入るやいなや総毛立ってしまった。写真集の持つ熱量をさらに上乗せしたような印象。でも激しさや苛烈さではなく、どこまでも厳かな雰囲気だ。

こちらもナチュラルウッドの額装で、プリントとのバランスがとれていて、品よく仕上がっていた。モノクロには黒枠という不動とも言える定番があるけど、見え幅やマットのバランスが良ければ、これだけかっこよくなるのだと実感する。

下平さんのサイトに記載されている「星霜連関」の言葉が簡潔ながら印象的で、今回の額装がしっくりきた理由にもなる気がする。

人間はどこから来てどこへ向かうのか

人、土地、祭り

幾星霜をかけ、天地(あまつち)と関わり続ける人々と土地の神話

Tatsuya Shimohira – 星霜連関 SEISORENKAN

大げさかもしれないけれど、ウッドフレームが、どこか「宮造り」のようにも受け取れた。額装には単なるセンスの良いとかではない、必然性を感じた。ニコンはよく練られた完成度の高い展示だったし、東塔堂は実験的なランドスケープのセレクトで、これからの期待感が膨らむ展示だった。

上田義彦「A Life with Camera」展|トークセッション@ギャラリー916

上田義彦×森山大道のトークセッションを聴きに行ってきた。2013年に同ギャラリーで開催された個展 Daido Moriyama「1965~」展を受けてのトークとなる。当時はスケジュールの関係で叶わなかったが、上田さんたっての希望で、2年越しのセッティングとなったようだ。

私もその個展は観賞していた。上田義彦キュレーションによる展示は、今までの森山大道のイメージとは違う構成で、どこか愛おしさを感じる個展だった。上田さんが大事に大事に手がけた感じが伝わってきたのを憶えている。

それもそのはずだと、トークを聴いてすぐに納得した。上田さんが冒頭で「世界一好きな写真家」と口にしたのだ。「このギャラリーを始めるにあたって、まず思ったのは森山さんの個展だった」とまで言っていた。それほどまでに惚れ込んでいる写真家の個展だ。愛情を感じないわけがない。

トークを通してお互いに尊敬し合う間柄だと感じ取れた。上田さんは、ゆっくりと言葉を手繰り寄せながら投げかける。それを受けて、森山さんは持論を丁寧に語る。

上田さんにとって写真とは「鏡」のようなものだと言う。何をどうしても、自分の何かが写ってしまうものだと。森山さんは、生理的なものはどうしても写ってしまうんじゃないだろうかと答えた。その時の体調や気分も含めて、それまでの経験なんかが影響してしまうよね、と返した。

また、互いに日常と非日常について触れていた。上田さんは、何てことのない場所でも、ある瞬間、こんな光景があるのかと驚嘆してシャッターを切ることがあるという。森山さんは、街頭を撮り歩いていると、非日常がスリットのように見えることがあり、それに反応して撮ると言った。一瞬スチールとして見える事があるそうだ。

さらにセッションしていくうちに出てきたのは、日常と非日常は実は同じ世界で、自分たちがその事に気がついていないだけだ。だから、そのつもりで撮らないといけない。そのような事を語り合っていた。

また、お互いの写真については共に「エロティシズム」を感じるという。写真はエロくないとね、だそうだ(笑)

最後に上田さんが、ためらいがちにこう質問した。「僕はすごく好きなんですが、あの粗粒子というか、荒れた感じの写真については、森山さんはどうお考えですか?」

「いや、基本的に僕はハイコントラストで粗いのが好きなんだけど、そもそも冷たいので(フィルムを)現像するのが苦手なんだよね」

「ああ、タンクからも温度が伝わりますもんね。確かに20度って、わりと冷たいですよね(笑)」と上田さん。

「冷たいの嫌だから、あーなっちゃうの」

もう降参である。どこまで本気か冗談かは定かではないが、それも森山大道の「生理的な」選択なのは間違いない。どこかで聞いた「ネガは標準で」というのは、はたして真偽のほどは? それでもネガには潤沢な階調が残っているとしたらすごい事だけど。もうこの辺については都市伝説化しているのかもしれない(笑)

トーク終了後の「デジタル(表現)の違いについてはどう思われますか?」という質問には、二人とも同じ見解だった。

上田さんは、「フィルムとデジタルの差ってのは、少しはあるとは思いますよ。でも、今はあまり関係なかもしれないです。森山さんはどうですか?」

「僕は、気に入っていたフィルムも、印画紙も、現像液も、無くなっちゃったから、今は全部デジタルにしてて、プリントもお願いしてるんだけど、まあ、関係ないかな。そこじゃないよね」と森山さんも同意する。

ニュアンスの違いはあるかもしれないが、概ねこんな内容だったと思う。示唆に富んだ言葉、やりとりが多く、とても興味深く拝聴した。

それにしても、ギャラリー916はいい場所だな。

染谷學写真展「艪」@蒼穹舎

いつも楽しみにしている染谷さんの写真。やっぱり見入ってしまう。

今回は135のみでまとめられていて、少しばかり距離感のあるイメージが多かった。染谷さん曰く「いつもの6×6の窮屈さから解放されて、広がりを感じたかった」からだそうだ。

前にも書いたけど、染谷さんの写真は、上澄みのようなプリントの中に、澱(おり)のようなものが残っている写真だと勝手に思っている。全体的に澄み渡ってもいないけど、濁ってもいなくて、完全に分離もしていない。下方に向かうにつれ透明度が低くなり、底には何かが沈んでいる。そんな不思議な魅力を感じるのだ。

お気に入りは、ベンチに座るカップルらしき写真。ただいちゃついているのか、別れ話を切り出しているのか分からないが、とても気になる一枚。もうひとつは、遠目に写るキャンピングカーの写真で、こちらは部屋に飾りたい一枚だった。

モノクロプリントは焼き魚みたいなもの

IMG_3391

自宅でシシャモを焼いてほおばったり、定食屋で塩サバをつまんだりした時の、あの身にも心にも染み入るような幸福感。もう堪らない。焼き魚大好き!

銀塩のモノクロプリントって、自分にとっての焼き魚みたいな存在だったりする。家で焼くシシャモはさながら暗室作業で、定食屋の塩サバは観に行く展示とも言えなくもない(失礼)。同じ魚料理でも、刺身や寿司とかの感じではなくて、やっぱり焼き魚がしっくりくる。メーラード反応で旨味が増した感じの方が近い気がする。

なんの話だか分からなくなってきたし、また時間がたったら、「モノクロプリントって、目玉焼きみたいなもんだよね」とか言ってそうだけど。

さて、今月、来月に食べたい焼き魚の数々はこちら(爆)。

【観賞後】Wolfgang Tillmans「Your Body is Yours」@国立国際美術館

名称未設定-1

先々月、大阪・中之島の国立国際美術館にヴォルフガング・ティルマンス「Your Body is Yours」を観てきた。観賞後ふた月ほど経過して、少しだけ咀嚼できたので感想を書いておこうと思う。

美術館での個展開催は、国内では初台の東京オペラシティーアートギャラリー以来11年ぶり。しかも、25年のキャリアの中でも、自身にとって過去最大級の個展だという。観に行くことに意義がある、というわけで、初の大阪行きとなった。

まずは、とにかく本当に観に行けてよかった。

いや、ティルマンスのことを多く語れるほど詳しくないし、というか、ほとんど知らないに等しい。ターナー賞ハッセルブラッドアワードを受賞したとかは何となく聞き及んでいたものの、作品の製作意図や取り上げるテーマもよく分からず、とらえどころがない印象だった。

今回もせめてもの予習をと思って、WIREDのインタビュー記事を読んだり、YOU TUBEの動画を見たり、写真集を数冊紐解いたりしながら、予備知識を得た程度だ。まあ、ミーハーというか、写真に関わっていれば避けて通れないというか、とりあえず見ておきたかったというのが本音だ。

そんな自分が、これほどの満足感を得られるとは思ってもみなかった。おそらくそれは、写真もさることながら、展示空間に起因している。やはりティルマンスは展示なんだなと。こんな根本的なことを知るには、やはり展示を見ないことには始まらない。

国立国際美術館は地下に潜って行く構造で、ティルマンス展はB2階に位置した。広いフロアは、大きく14の展示に区切られていた。その内、吹き抜けのアトリウムには壁面にひとシリーズ、それから過去のありとあらゆる印刷物が展示されていた。

それらが緩やかな導線で繋がれ、自由に行きつ戻りつできる。各展示室は極めてシンプルでありながら、予定調和を感じさせないレイアウトになっていた。作品サイズと配置が絶妙で、居心地の良さこの上ない。

特に、ROOM5がお気に入り。壁面と併せて、床面にも長細い展示台がいくつも互い違いに並べられている構成で、立体的に展示を愉しめる。部屋の隅っこに立ち、対角で空間を見た時の遠近感は胸が躍った。ふと思い浮かんだのは龍安寺の石庭。その場にいるだけで気持ちが良い。

ティルマンスといえば、写真によるインスタレーション。人によってはもう耳にタコができているフレーズだろう。一見無造作に見えるピンナップの展示も、時間をかけて練りに練られたプランだと聞いたことはあったが、まさかこれほどまでとは思わなかった。

おそらくこの手法は、大きな箱であればあるほどその本領を発揮するのではないだろうか。昨年の六本木の展示ではあまり感じられなかった高揚感だった。

まだ、ティルマンスの写真そのものを言葉にできるほど理解できていない。でも、ティルマンスが写真を通してどう投げかけようとしているかは、少しばかり意識することができた。

巡回展の予定はないらしい。これだけスペースに最適化したコンテンツを、そのままホイっとは他へは移せないのだろう。それに美術館側もそう易々と手放したくないのかもしれない。そういう意味でも、何はともあれ中之島に駆け込んでよかった。

当事者意識


俄かに信じがたい出来事が起きた。安否が心配されたが、どうやら友人知人は無事のようだ。FBの災害時情報センターという機能を初めて知った。こういう時はSNSの有用性を肌で感じる。数日前にグループ展でも顔を合わせた友人が現地に滞在している。近頃は薄れがちだった世界情勢への当事者意識。否が応でも湧きあがる。祈ることしかできないが、何とかご無事で。