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オリジナルプリントを購入した後のもやもやがピークを過ぎると、いくらか落ち着いた目でプリントを見られるようになる。その一枚と向き合う時間がはじまる。
かといって、買ったことの誇らしさ、その後の経済的な不安、得体の知れない感情のどれも消えてなくなったり、整理整頓されたりすることはない。同居しにくい相容れない想いをぜんぶひっくるめて付き合おうと思えるようになるだけだ。大げさに聞こえるかもしれないが、腰を据えてプリントと向き合う覚悟が生まれてくる。 続きを読む
最初の一枚を買った時にとても複雑な気持ちになった。オリジナルプリントを手にしたうれしさはあったが、胃の腑が落ち着かなくなった。部屋にどう飾ろうかと思いめぐらせたら心は踊ったけど、肩にずしりと重たいものがのしかかった。
やはり普段買っているのと明らかに違うものに対して、お金を払っているからだろう。しかも何万単位の値段がする。洗剤やトイレットペーパーなどの生活必需品ではない。キャベツや豆腐でもない。ソファでも冷蔵庫でもデジカメでもない。オリジナルプリントの実用度はきわめて低い。自分を納得させるのに一苦労したのを覚えている。
ところが最初の一枚を購入してから5年以上たった今では、数十枚のオリジナルプリントが手元にある。写真を始める前には考えられない事態だし、自分でもどうかしていると思う。しかも、一枚目と同じように、購入するたびに複雑な気持ちになるのは変わらなかった。ぐるぐると思考をめぐらせ、自分を納得させる材料を探した。
でも不思議と買うときは、どれにするかすぐに決まり、「これをください」と迷いなく注文した。ひとしきり複雑な感情が過ぎ去れば、どのプリントも買ったことを後悔することもなかった。
それもこれもオリジナルプリントは買ってからがはじまりだと思えたからだった。
初めてのDIC川村記念美術館のお目当は、サイ・トゥオンブリーと常設展。ようは全部。でも、今まではほぼノーマークの美術館。それにサイ・トゥオンブリーのこともあまり知らなかった。原美術館の企画展は知ってはいたけど、予定にも入れずにそのまま会期を終えた。
じゃあなぜ今トゥオンブリーを見たくなったかというと、いつだったかポラロイドの写真集「Photographs」を見てからだ。代表作のぐるぐるした絵はそそられなかったが、ポラ作品は妙に惹きつけられた。いつか実物が見られたらいいなと思っていた。そんな折りに川村記念美術館で企画展が開催されることを知り、清水穣さんの講演会に合わせて観賞することにした。
さて、美術館内のトゥオンブリー展は最後のスペースらしい。あせらず常設展から順路どおりに進んで観賞することにした。途中のロスコ・ルームは期待以上で、感想が長くなったので別稿にまとめた。
さて、トゥオンブリー展。前半の最初期のモノクロ写真やドローイング、彫刻の作品に触れつつ、ようやくメインのポラロイド作品のスペースへと向かう。
ポラロイド作品といっても、額装されたプリントはオリジナルのポラロイドではなく、2.5倍に引き伸ばされた複製だ。とはいえ複製方法に並々ならぬこだわりがあり、ゴム印画法の発展形とされるフレッソンプリントか、そのフレッソンと同じ効果を求めてトゥオンブリー自身の工房によるカラードライプリントで複製された。その複製にエディションをつけて販売している。どれもエディションナンバーとエンボスで「CT」と刻印されている。複製だけどオリジナルプリントだ。
どれもピンボケのイメージばかりで、強いて言えば柔らかな画面はポラロイドのとの相性がよいかもしれない。しごく日常的な生活の空間から、アトリエの作品を写したものもある。焦点にとらわれない、とらわれたくないということだろうか。ある意味「ゆるふわ系」と言えなくもない。
清水穣さんの講演会で、トゥオンブリーは絵画、彫刻、写真が三つ巴というか、互いに牽制し合うことで成り立っていて、かつ互いに補完しようとしている、ということを言っていた。早い段階から3つの表現を取り入れながら、作品を作っていたらしい。写真も若い頃から撮ってはいたが、ポラロイドを作品として発表しはじめたのはキャリアの晩年からになる。満を持したのか、せっかくだから発表したのか、その辺はどうかはわからない。後出しで伝えたかったことってなんだろうと考えたりする。清水さんの話はかなりディープな考察で、あまり理解できなかったが、うっすらと全体像はつかめた気がする。まあ学術的なアプローチもたまにはよい。
3つの手法を知ることによってはじめてトゥオンブリーを理解できるというのは確かだろうけど、まずもってこのポラロイド作品がとても魅力的だった。100点ものオリジナルプリントに酔いしれることができて、ロスコ・ルームという収穫もあり、生モネ、生レンブラントを拝めて、川村に足を運んで大正解だった。
もちろん図録は購入した。コストパフォーマンスは素晴らしい。素晴らしいが、さらに網羅的にトゥオンブリーの「Photographs」の作品を紐解いてみたくなった。ここを軸にして、サイ・トゥオンブリーを深く知ることができたらおもしろい。

写真に出会ってからというもの、界隈を「諸星あたる」的に節操もなく歩き回っていることを自覚した時に、ちょっと情けなく切なくなることもあるんだけど、まあ、それでもいいかなって今は思っている。傍から見ればつまみ食いの八方美人。浅く広くなんて聞こえがいいものでもなくて、単に狭く深く掘り下げる過程に乏しく、きっと何もものにならないパターンかもしれない。
それでも写真への興味は尽きることはなく、延々と広がるばかりだ。性懲りもない自分に愛想は尽きつつも、また次の写真をみたくなってしまうし、向き合いたくなってしまう。
それもこれも、写真には単にうわべの表現ではなくて、本質的な何かを教えてくれそうな予感や期待感や可能性が確かに存在していているからだ。その片鱗でもいいからみてみたいと思いながら、できるだけ古今東西の写真に触れてみてみたくなり、ときおり撮ったり焼いたりたくなる。
写真に関しては、飽きるとか、やめるとか、そんな気持ちになることは、きっとないだろう。別に広く浅くでも八方美人でも、ゆっくりでもじっくりでもいいから、続けていくうちに、いつか広くて深い学びがあったら有難いなと思っている。

本棚に入りきらなくなったら整理する。写真集を収集する上での一応のルール。そろそろその時期がまた来たみたい。前回は「これだけは手放せないなあ」と思っていたものも、今回は「まあいいかも」と思えるものもある。
最近は好みが収斂しているみたいで、定番、東欧、ポラロイドなんかが関心事になっている。欧米のストリートスナップは少し興味が薄れているみたい。最新の図録よりも定番の古書を探したくなったり、内戦のしこりが残る東欧の人たちが醸しだす抜けの悪い空気感に浸ってみたくなったりしている。
とりわけポラロイドで作品を作っていたアーチスト(写真家だけとは限らないので)も多くいて、そんなのも集めてみたくなっている。手元にあるのはタルコフスキーの「Instant Light」とトゥオンブリーの図録だけだけど、ケルテスの「From My Window」とエバンスの「Polaroids」が近々やってくる予定。他にも気になるのが2、3冊ある。こういうテーマに則したのも楽しい。減らしても減らしても増えるのは性なのかもしれない(笑)
あ、それとSteidlから出版予定の井津建郎さんの「Eternal Light」が待ち遠しい。井津さんの作品はプリントに勝るクオリティはないと思うけど、シュタイデルさんがどう解釈して仕上げるのかは興味がある。
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