IMA Vol.1

定期購読にした。

すっかり写真に魅せられてしまってから3,4年になる。

意外と短い?

まあ、自分でもそう思う。

でも濃密な日々。

この短くも濃い期間に、
「これはいい!」と思っていた写真雑誌が、
軒並み廃刊や休刊の憂き目に遭ってしまった。

これからという時に、出鼻をくじかれた形だ。
長年の写真好きにとっても寂しい話だろうが、
自分のような新参者にとっても切ない話である。

ところが、ここにきて、
「風の旅人」も、「coyote」も復刊する。

ある種のシンクロニシティのようで、
うれしくなってくる。

こういう流れは、継続してほしい。
という思いを込めて定期購読。

それだけでなく、
無性に読ませる、無性に観させる雑誌だから。

そっちの方が先だ。

借り物のネガ。

今日は午後から暗室に入る。

知人から借り受けたモノクロネガを焼くためだ。

話は少し遡る。

その知人が旅行にニコンの一眼レフを持って行くという。しかもフィルムカメラだ。そこで、ずっと使っていなかった「ネオパン 100 ACROS」を一本進呈した。

特別カメラに詳しい訳ではないその知人に、絞り優先のAモードで、8とか、5,6の数字で撮るように勧めた。

旅行帰り。お店の同時プリントで仕上げたL判を見せてもらう。どれも良く撮れていて、素敵なカットばかりだった。旅写真は人が写っているほうが楽しいと思う。後から見る楽しみが倍増する。行ってない自分が見ても、何だかうれしくなる。

その中でも一際輝きを放っていたのが、知人の甥っ子ちゃん。その愛くるしさは圧倒的なパワーだ。

ぱらぱらとみている内に、その甥っ子ちゃんが写っているもので、これ焼きたいなと思うカットがいくつかあった。「ねえ、プリントさせてもらっても良い?」と言ってしまった。

家族に渡すのに、焼き増しした後だったら良いですよ、と言ってくれた。

自分勝手に焼くわけにも行かないので、向こうに焼くコマを選んでもらうことにした。

「じゃあ、考えます」

明くる日、「これでお願いします」と、見せられたのが、自分もお気に入りのカットだった。見せてもらったときに散々良いねと言っていたので、ちょっと影響してしまったかもしれない。

ひとのネガを焼くのはなかなかプレッシャーがかかる。いつも以上に慎重に作業を進める。段階露光を経て、フィルターワークを決め、テストプリントを繰り返す。2時間くらいかけて、やっと及第点のプリントが焼けた。

その後、自分で撮ったネガをちゃっちゃと数枚焼いていく。

すると最初に焼いた甥っ子ちゃんの写真がどうにも気になり始める。もっといけるんじゃないの?と思ってしまった。

よくよく見るとコントラストが低すぎて、ずいぶん眠い。ACROSらしいと言えばそうだけれど。もう少し何とかしたい。

というわけで、最終盤になってから、データを取り直す。

じゃあ、まず全体を2号で、それから5号少々で輪郭を出して、空と白いシャツを焼き込んで…。あれやこれや試しに試して、1時間後に、これで勘弁し下さいプリントが出来上がった。これから乾燥、フラットニングして渡す予定。

気に入ってもらえるかはわからないけれど、そもそも自分勝手にお願いして、自己満足のプリントだった。これはこれでよしとしよう。

借り物のネガを焼く。これは良い経験だった。

こんな有休消化も悪くない。

染谷學写真展「道の記」@蒼穹舎

新宿御苑の蒼穹舎で開催されている、

染谷學写真展「道の記」を観に行った。

こういう写真、そしてプリントが、

後世に残ってゆく作品なのではないかと思った。

おそらく、この作品はそういう類いのものなんだろうと。

——-

染谷さんに初めてお目にかかったのは、

昨年の3月、中野にあるギャラリー冬青だった。

その時の展示は「Calcutta」。

1998年にカルカッタに赴き、

大判カメラで長時間露光をして撮影された作品だ。

とても美しいプリントだった。

ぐっと引き寄せられた。

何度観ても、また観たくなるプリントばかりだった。

自分は写真に関して浅薄な知識と経験しか無いので、

具体的に写真やプリントについて踏み込んだ感想は言えない。

それでも、強いて言うとすれば、

一度観ただけでは、未練が残る作品なのだ。

染谷さんの写真、プリントにはそういう力がある、

と自分は思っている。

——-

そして、今回の展示。

やはり未練が残る。

すごい人だなあ。

染谷學写真展「道の記」

7月9日(月)ー7月22日(日)

ハッセルブラッドが直った。

「午前中電話をした者です」

「ああ、いらっしゃい。どうなったんだっけ?」

「撮影中に巻き上がらなくなっちゃって…」

「ああ、そう」と言いながら、おもむろに引き出しから工具を1本取り出す。

ドライバーのような工具で、先が丸数字の「1」の形をしている。ハッセル専用の工具らしい。

マガジンを外し、遮光板を左手の人差し指と親指で押し広げ、右手でそっとボディ内に工具を差し入れる。レンズの真裏にある何かをクイクイっと軽く回している。

工具を抜き出し、ボコっとレンズを取り外す。次いで巻き上げノブを回しては、シャッターを切るを数回繰り返す。

ギリギリ、バコン。ギリギリ、バコン。いつものハッセルの音だ。どうやら故障の原因は解消したらしい。すこしほっとする。

「レンズの接点、Mになってるね。MじゃなくてXにしといた方がいいよ。Mだとギア2つ分くらい遠回りするからね。少しずつずれが出るんだよ」

ほほー、勉強になります。

これで終わりかと思ったら、またレンズを手に取り、リアにエクステンションチューブのような器具を取り付け、がちゃがちゃやっている。次に、円盤のような器具にレンズを取り付け、キリキリやっている。年季の入った器具たち。はっきり言って何をやっているのか見当もつかない。

店主曰く、シャッタースピードと絞りの精度を見てるとのこと。こちらも問題なく作動しているようだ。

「うん、良いんじゃない」と一言。

ここまで、ものの10分足らず。あっという間だった。

実は来店したとき、すでに先客がいた。出羽桜の中瓶を1本飲み干していて、すっかり出来上がっていた。彼女はスタジオ勤務のカメラマンで、年に数回は顔を出しているらしい。いずれ写真で一旗揚げるんだと、店主が代弁していた。

結局、修理代どころか、麦酒2本もご馳走になってしまう。店主と先客と私で、小一時間ほど談笑させて頂いた。実に有意義だった。

店主は日本に一人しかいないハッセルブラッド公認の職人だ。50年以上のキャリアは伊達ではない。他にもハッセルを修理する職人さんは何人もいるであろうが、あくまで技術指導を受けたというのがほとんどだ。工具類は自前で作ったものも多く、いかに腕利きの職人と呼ばれようとも、いわゆるモグリになってしまう。

肩書きで何ができようか?とも思う。

しかしながら、あのシリアルナンバー入りの専用工具は実に誇らしげだった。

公認の職人として齢を重ねた風格は、やはり伊達ではないのだ。

ハッセルブラッドが故障した。

購入後、ちょうど一年。

数本撮影した後、日没間近にもう1本粘ろうと装填したブローニーが6枚目で巻き上がらなくなった。

ノブが全く動かない。しかたなく途中でフィルムを巻き戻し取り出してみる。それからスライドを入れてマガジンを外して、また着けてみる。相変わらずノブが回らない。

道すがら、最寄りに千曲商会があったので、とりあえず持ち込んでみる。どうやらレンズとボディの連動がずれてしまっているらしい。

手持ちの専用工具で直せなくもなかったようだが、あえて手を止めて、ここ行ったら良いよと、銀座のワタナベカメラサービスを紹介される。

噂には聞いていた。とにかくハッセルならここに持って行くのが一番だと。

故障したのは残念だが、こういう機会がないと、その手の職人さんに出会うことはない。少し楽しみでもある。

年明け早々に伺ってみようと思う。

写真を買って、部屋に飾る。

3年ほど前から写真に興味を持ち、実際にフィルムカメラを手に入れて、撮り歩き、ワークショップに参加し、フォトブックを買い、ギャラリーで写真を観て回り、先週はグループ展を経験した。

その課程で、写真を買う、ということも何度か経験した。これは実際に買ってみないとわからないことばかり。買うには写真にまつわる基礎知識がある程度必要になる。最初からそんな基礎知識が備わっているはずもなく、ちゃんと対価を払って勉強してゆくしかない。

ある人から教わったことだけれど、写真を買うときに、単純に感覚に任せたり、ノリで買うと後悔することが多いらしい。確かにそうかもしれない。

これまで買った写真は、ほとんどの場合、幸いにも作家と直に話ができ、作品への思いや製作過程を訊くことが出来た。納得ずくで購入を決められた。

狭い部屋でも、額装された写真を一枚飾っておく。これが格別な楽しみになっている。

再開。

更新再開します。やはりブログは向いていないけれど。長くやってこそかなと思っています。

夜明け前。

最近、夜明け前から出かけてモノクロで撮影している。明け際のフワリと明るくなる時間帯を写すためだ。真夏に日中の撮影はよろしくない。モノクロならではのトーンが引き出せない。カラーなら被写体が色で分離してくれるので成立しやすいし、コントラストの強さも表現になる。モノクロはそうはいかない。ハイライトを活かしつつ、なだらかにシャドーになってゆく部分がほしいのだ。そのトーンが得られるのが、明け方だ。露出は原則ひとつだけ。外したらごめんなさい、と割り切る。今日は晴れていながら直射が雲で遮られていたので、1時間以上同じ条件で撮影できた。所々三段明るいのも収め、TMY400を2本消費した。条件を絞ってゆくといろいろなことが見えてくる。プリントの時に、おっ!?、と思える一枚に出会えるだろうか。まだ始めたばかり。期待と不安が入り混じる。まあ、まずは質より量だろう。

バライタ。

ラボテイクのワークショップで、参加者のひとりからバライタを小分けして頂いた。期せずして初めてバライタを焼く機会に恵まれることとなった。確か「ADOX Premium MCC 110」だったと思う。

後でわかったことだが、なかなか高価なバライタだった。知る人ぞ知る「Agfa Classic 111」の復刻版的な印画紙らしい。フィルムをやり始めて数年の自分にとって、そんなこと知る由もなかった。

提供者から「遠慮無く使ってください」と言われるが、「じゃあ、遠慮無く」とはなかなか言えない。細かく千切っていただいた紙片で段階露光から始める。

RCと工程はほぼ一緒で、現像液に着ける時間が長いくらい。現像工程で徐々に水分を含み出し、心なしかしんなりと重くなってくる。ほほう、本当に紙ベースなんだな、と感心する。素人丸出し。

数回のテストピースを検証して、濃度とコントラストを決める。はたして本番の一枚を仕上げた。なかなかどうして感慨深いものだ。

乾燥とフラットニングに3,4日必要なので、その日は預けて後日受け取りとなった。職場が近いので平日に直接受け取りに行く。

しっかりと乾いたプリントはドライダウンでやや濃度が高くなっていた。まあこれもいい感じ。初バライタは自己満足ながら上々だった。

思いっきりバライタに興味を持ってしまったので、近々もっと焼きたくなってきた。まずはバライタを買おうと思う。さて何にしようかな。

日常にライカ。

最近、出勤日でもTMY400を詰めたライカを持ち歩くようにした。理由を挙げるとグループ展の作品作り、となるかな。でもそれはきっかけに過ぎず、ただ持ち歩きたかっただけだ。

通勤時やお昼休みに、数枚だけレリーズボタンを押す。時間が限られているからこそ、ライカの速写性を実感する。露出を決め、フレーミングをし、シャッターを切るまでどれだけスムーズなことか。

露出計はあまり使わずに、だいたいの勘で撮る。これがいい。使う露出の組み合わせは数えるほど。後は微調整で。これも勘。

多少の当たり外れはあるけれど、フィルムの濃度は意外と揃っている。面白いもんだね。夏の日中は輝度差が激しいからトーンが出にくいけれど、その辺を工夫するのも楽しみの一つ。腕はへぼだけれど、まあいいか。

こんなに長く続けてゆきたいと思ったことは今までに無い。無趣味で通っていた自分にとって奇跡的なことだ。

写真に出会えて本当に良かった。つくづくそう思う。

暗室作業。

地元の文化会館に貸し暗室がある。薬品は持ち込みだが、賃料は非常にリーズナブルでありがたい。自転車で行ける距離なので、ペットボトルに小分けした現像液、停止液、定着液、そして四切と六切の印画紙を携えてもわりと楽ちんなのだ。

自分は細かな暗室の知識も技術もないので、ほぼストレートプリントしかできない。露光時間を調節するだけでも手一杯だ。焼き込みや覆い焼きもやらないではないが、まずはストレートでたくさん焼きたいという思いが強い。

印画紙はオリエンタルのRCばかりだ。しばらくケントメアのファインラスター(半光沢)を使っていた。いいトーンが出やすいと言われたことがあって試していた。確かにグロッシーに比べて反射が半減するからか、柔らかなトーンが確認しやすい気がする。

先日そのケントメアを使い切ったので、またオリエンタルに戻した。久々にオリエンタルで焼いてみると、自分は光沢が好きかもしれない、と思った。汎用性があるというか、癖がない分ストレートプリントにはいいみたい。

まだまだRCで数をこなしたいところだ。バライタは8月に入ってからでもいいかな。グループ展は9月。まだエンジンかけたばかりだけど、プリントに精進したい。

それ以上に、自分は何を撮るのか、何を見ているのか、それを見いだしてみたいと思う。まだまだこれからだ。

写真を通して。(4)

少し昔話。Leica M4 を使い始める。Black Chrome というモデルだ。

写真歴が浅い自分でも、作りのよさは感じる。

それにレンジファインダーの二重像は面白い。すうっと合致させたときの感覚は癖になる。

M5を挟んで、再生産されたこの頃のM4は「ロスジェネ」と言われているらしいが、まあ自分にとってはあまり関係が無い。

言わずもがなM4には露出計がついていないので、ゴッセンの単体露出計を片手に、チマチマと計測しながら、絞りとシャッタースピードを決める。

操作一つ一つが手探りで、ぎこちない。でも一つ一つが楽しかった。

しばらく近所のプリントショップ55で同時プリントを繰り返していた。撮る行為そのものに満足していて、その先は深く考えていなかった。

上がった写真は、「?」というのが多かったが、まあこんなもんかとも思った。

写真を通して。(3)

3年くらい前の話。

Leica M4と出会う前、「GR Digital 2」に一目惚れをする。単なるぱっと見、外観が物欲をくすぐった。どうやら性能もいいらしい。その程度の知識だ。それでもカメラに一目惚れをするなんて経験は初めてだったし、自分の中でやたら盛り上がってしまって、通販で買った。

仕事でたまたまリコーのコンデジを使っていたが、ただ使っていたというレベル。写真のキホンなど知らないし、知ろうとも思っていない頃だ。ましてや、GRが高級コンパクトで名を馳せたことなど微塵も知らなかった。

とにかく撮った。パシャパシャ気楽にシャッターを切ってもそれなりに写るので、それだけで楽しかった。

単焦点レンズのことも、絞りやシャッタースピードも、ホワイトバランスもよーわからんままだった。でも何か撮れてしまうので、自分で写真がうまくなっていると明らかに勘違いをしていた。

その次に、手に入れたのが富士フイルムの「Natura Classica」だった。これがフィルムカメラのスタートと言える。

ISO1600はおろか、感度の意味すら知らない。あの独特の写りにおもしろみを感じただけだ。

今になってこの流れを見ると、「GR」や「ナチュラ」なんてずいぶんミーハーな手の出し方をしているな、と我ながら思う。

けっしてキヤノンやニコンではないのだ。その辺は写真部だったり、写真科出身とは訳が違う。素人の発想だった。

ナチュラで撮ったら、同時プリント。「あっ、自動補正無しでお願いします」なんて訳知り顔で注文した。

おもしろいんだけれど、よくわからないな、という想いがしばらく続く。

ライカと出会ってもそれは基本的に変わらなかった。

写真を通して。(2)

2年ほど前の話。

ある日、気まぐれで、初めて中古カメラ屋に訪れた。何もわからなかった。カメラのことも、中古カメラ屋のことも。

そこで目に留まったのが、ガラスケースにずらりと並んだライカだった。

理由はよくわからなかったが、機体に惹きつけられた。ライカコーナーを一通り見渡す。

どうやらM3という機種が王道らしい、ということがわかってくる。また、くまなく見渡す。時折、ジッと見る。また見渡す。気後れして店員に訊けない。というか、何を訊いていいかわからない。

そうこうするうち、Leica M4 Black Chromeという機種で脚が止まる。プライスタグを見ると、製造が自分の生まれ年だった。俄かに体温が上がった。

15分だけ考える。

けっきょく購入した。値段は気にしなかった。

その後、ライカについては後から調べた。もちろん興味が湧いたからだが、買った後悔が頭をもたげないうちに、それなりの価値を知り、自分を納得させたかったからだ。

それが写真と自分との始まりだった。

写真を通して。(1)

写真を撮る。写真を見る。写真を買う。

ここ2年くらいで、それらに深く関わり始めている。

子供の頃も、二十代も、三十代前半も、写真への興味は希薄だった。周りにカメラ小僧もいなかったし、鉄タクもいなかった。

写真の現像所でバイトをしていたことはあった。でも、断片的に興味は持っても、カメラや写真が好きになることはなかった。

父親は高校の頃に写真部だったらしい。「念写ばかりしてた。何かね、写ってるんだよ」とよくわからないことを言っていた。それも最近知った話しだ。

今思うと、きっかけになりそうなことはいくらでもあったかもしれない。今まで素通りしていただけだろう。

始まりはずっと後になってからだった…。